【ゴルフせんとや生まれけむ】金原亭馬生<後編>「ハーフ30台なら10万円! 最終ホールでパーを取れば…」
ゴルフせんとや生まれけむ
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き落語家の金原亭馬生氏。
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- ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、落語家の金原亭馬生氏。 ゴルフを始めたのは二ツ目になって間もなくだから30~31歳の頃ですね。古今亭志ん朝師匠に早稲田にあった打ちっ放しの練習場に連れて行ってもらって「お前も打ってみろ」と。それで初めてクラブを握ったんですけど、握り方も打ち……
前回もお話したように、私のゴルフの師匠は、古今亭志ん朝師匠でね、師匠はいいときは80台も出るけど、平均すると90前後で回る腕前だった。まあボギーペースで回って、調子がいいと片方は41~42って感じ。ゴルフが一番面白い時期ですよね。で、私も師匠を超えちゃいけないと思って、よくて90台後半、まあ100を切ったり超えたりというレベルだったんですが、あるとき、ご一緒した方が「ハーフ40を切ればご祝儀を出そうじゃないか。10万円やるよ」と言うんです。 私がゴルフを始めたのはバブルの絶頂期だったから、そんな気前のいいご贔屓(ひいき)がいたんですね(笑)。
たまたま私、その日はバカに調子がよくって、最終ホールでパーなら39、という状況になった。さあ、大変だ。10万円だゾ、って同伴者がはやし立てて周りはすっかりその気になっている。
しかもティーショットがこの日一番の当たりでフェアウェイキープして、私も久しぶりに舞い上がっちゃって、ゴルフであんなに気分が高揚したのは、後にも先にもその一度きり(笑)。結果? 2打目で大ダフリしてチョロ、3打目はアイアンの刃に当たってトップし、グリーンオーバーしてダボの41。ご贔屓に「最後の最後に笑いのオチを持ってくるなんて、さすが噺家(はなしか)だね」って(笑)。まあ、あれでパーを取っていたらシャレにならないからと自分に言い聞かせ、泣きながら帰ってきましたよ(笑)。
そんなんだから、生涯ベストスコアは92。ボギーペースってのは、それほどプレッシャーもなく、周りにも迷惑をかけずに回れる、ちょうどいいレベルだと思っているんですけどね。得意クラブはパター。私、途中で余計に叩いてもグリーンに上がってから1パットで挽回するケースが多くて。勝負をしている仲間には「なんだよ、いつもガッカリさせやがって」と評判悪かったですね(笑)。
私のパッティングは、左ひじをお腹に付けて、右わきは空けてストロークするスタイル。へんてこな形だけど、いまでいうアンカリングをやっていたんですよ。愛用のパターは、芹澤信雄プロが沖縄のコンペで優勝したときに配ったピンタイプ。とても使いやすくてずっと使っていましたね。
芹澤プロとは日刊スポーツ主催のレジャー洋上大学で一緒に講師をした関係で、お付き合いしていますけど、私は話し方教室の講師。芹澤プロはゴルフレッスンの講師で乗船して、12~13年続いたですかね。当時、ゴルフのレッスンは船の上から海に向かって練習ボールを打っていた。いまなら問題になりそうだけど、気分爽快だったですね(笑)。
最近は、体力に自信がなくなってコースに出るのが少なくなりましたけど、いまも時々ゴルフの夢を見るんです。それがホールインワンしたり、参加者100人のコンペで優勝したり、といった夢ばっかり。それくらいゴルフには未練があるのかなと(笑)。だから、自分から進んで予約することはないけど、誘われたらいつでも行けるように愛用のパターに油を塗って手入れだけは怠りなくやっているんですが、誘うほうも年食っちゃってね(笑)。はい、おあとがよろしいようで。

金原亭馬生
きんげんてい・ばしょう 1947年生まれ、東京都出身。都立第三商業高校卒。21歳の時、10代目金原亭馬生に弟子入りし小駒を名乗る。30歳で二ツ目に昇進し馬治に改名。39歳で真打昇進。1999年9月に11代目金原亭馬生を襲名。現在、落語協会常任理事
週刊ゴルフダイジェスト2026年2月24日号より


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