【ゴルフせんとや生まれけむ】石田佳員<後編>「名古屋場所では本場所までの2週間で11ラウンドしたことも」
ゴルフせんとや生まれけむ
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き元関脇、鷲羽山の石田佳員氏。
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- ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、元関脇、鷲羽山の石田佳員氏。 ゴルフを始めたのは35歳の2月です。ちょうど次男が生まれた年で、妻が出産で実家に帰っているときに、岡山出身の先輩から「することないなら来いよ」と呼ばれて、先輩のマンションの屋上にネットを張った“鳥かご”で、着物……
羽海部屋では、先代の親方(元横綱佐田の山)のときから、1月、5月、9月の年に3回、後援会のゴルフコンペをやっていましたけど、それは私が部屋を継いでからもずっと続けていましてね。いまも、東京場所の終わった直後の火曜日がコンペと決まっているんです。
でも、私が親方になってから一番コースに通ったのは名古屋場所のときですね。宿舎は愛知県犬山市の善光寺境内を借りているんですが、そこからクルマで15分のところにゴルフ場が3つもある。春日井CCや犬山CCには10分で着きます。だから、昼前になると地元の人がクルマで迎えにくるんですよ。稽古が終わる頃を見計らって「今日の午後は空いてる?」「空いてますよ」「じゃ、行こうか」と(笑)。
12時過ぎにゴルフ場に着いて、昼飯はコース内の茶店で食べて18ホール回り、夕方の6時前には宿舎に帰ってくる。だいたいお相撲さんがゴルフに行くのは、東京場所のときは場所が終わってから、地方場所は場所前なんですけど、地方場所は、本場所の2週間前に現地に乗り込むんですね。だから名古屋場所のときは、名古屋に乗り込んで本場所までの2週間で11日もラウンドしたことがあります。そんなときは、スコアなんかどうでもよくて、体が持つかが心配だった(笑)。
でも、まあ後援会の人たちもゴルフ好きが多いから、ゴルフのおかげで後援会組織を充実させることができたし、いろんな世界の人とも知り合えた。それも一日中、一緒にラウンドして過ごすから、急速に親しくなれる。あれが他のスポーツにはないゴルフならではの魅力ですよね。とにかくゴルフは人と人を結び付ける不思議な力がありますよ。
好きなコースは、かつてメンバーだったサニーフィールドGC(現ゴルフ5カントリーサニーフィールド)とゴールデンレイクスCC。昔はよく行きました。でも、最近は免許証を返納したので、友人のクルマに乗せてもらって行ける千葉の東千葉CCが多いな。月曜日は東千葉CCに行って、木曜日は東武藤が丘CCに行くというパターンが多いですね。年間のラウンド数は30回前後。ひざに人工関節を入れているし、脊柱管狭窄症で腰痛持ちなので、もっとコースに出たいけど、無理できないんですよ。
得意クラブは7番アイアン。昔は150ヤード飛んだけど、いまは130ヤードがやっとかな。ドライバーはあまり飛ばないけど、曲がらないから得意なクラブの1つですね。それとパターが好き。ドライバーで250ヤード飛ばすのも、パターで1メートルを入れるのも同じ1打でしょう。ゴルフは途中経過よりも結果がすべてだからパターは真剣にカップを狙います。
これから先のゴルフ? そうですね。夢ですけどエージシュートを一度でいいから出してみたいですね。お相撲さんは若い頃に体を酷使しているから早く歳を取って、エージシュートなんてとんでもないと思っている人が多い。でも一度でも私が出したら、みんなの励みになるじゃないですか。だから76歳のいまも毎日、朝夕に1時間、家の周りをウォーキングして足腰を鍛えているんですよ(笑)。

石田 佳員
いしだ・よしかず。1949年生まれ。大相撲の元関脇鷲羽山。身長173センチの小兵力士ながら輪島・北の湖らの大型力士時代に活躍。突っ張り、押し、いなしなど多彩な技で人気を博した。1985年11月引退。引退後は境川、出羽海、高崎親方として後進を指導。岡山県出身
週刊ゴルフダイジェスト2025年11月25日号より


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