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【ゴルフせんとや生まれけむ】石田佳員<前編>「鳥かごで球を打つこと10日間、コースデビューはあの“霞ヶ関”」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、元関脇、鷲羽山の石田佳員氏。

ゴルフを始めたのは35歳の2月です。ちょうど次男が生まれた年で、妻が出産で実家に帰っているときに、岡山出身の先輩から「することないなら来いよ」と呼ばれて、先輩のマンションの屋上にネットを張った“鳥かご”で、着物を着て、ステテコとシャツ姿でクラブを振ったのが初めて。それで10日間通ったらなんとか球に当たるようになった。そしたら「明日、コースに出るぞ」と、いきなり連れていかれたのが霞ヶ関CCです。

道具は先輩のお古を借りてコースデビューしたんだけど、何番でどれくらい飛ぶかもわからない。キャディさんに「これで打ちなさい」と渡されるクラブで打ってね(笑)。途中で足が痛くなって。力士はふだん靴を履かないから、レストランでは靴を脱いで食事をしていました(笑)。とにかく足が痛いのと、ゴルフってすごいなと感心ばかりして18ホール回ったから、スコアなんて覚えていません。 

程なくして三月場所が始まるので大阪に乗り込んだら、「ゴルフを始めたのなら」と友人が誘ってくれたのが和歌山県のミカン畑から造成したコースです。名前は忘れたけど、ミカンを運ぶレールがフェアウェイの脇にあって、池越えや谷越えのホールばかり。アップダウンが半端なくて急な斜面から打つから、ボールはまともに当たらないし、たまに当たってもどこに飛んでいくかわからない。始めて早々に“天国と地獄”を味わいました(笑)。 

まあ、自分としては現役を引退(この年の11月に引退)した後の体力維持に、と思って始めたんですけど、簡単には上手くならないし、思い通りに打てないから、なんでこんなもん覚えたんかいなと(笑)。でも、部屋には出羽海親方(元横綱佐田の山)をはじめ出羽の花、大錦といったゴルフ好きが大勢いて、みんなが誘うから、イヤとは言えないまま付いて行くうちにコツを覚えて徐々に楽しくなりましたね。とくに親方は、理事長になってから毎日協会に通うから、昼間はゴルフをする時間がない。で、成田のほうでナイターゴルフを始めたと聞いて、部屋に帰ってくるなり「おい、行くぞ」と。それに付き合って夕方出かけ、夜中に帰ってくることもしょっちゅうでした(笑)。だから、40代の頃は1.5ラウンドが当たり前、2ラウンドすることも珍しくなかった。1.5ラウンドしないと、ゴルフをやった気にならなかったですからね(笑)。

力士時代はクルマも免許も持っていなかったけど、ゴルフを始めたために40歳を過ぎて免許を取り、クルマも買った。勝負に負けると悔しいから東陽町の練習場にも通い、それで一気にゴルフ熱が高まりました。そして、最初にゴルフを教えてくれた先輩がサニーフィールドGCの競技委員をしていたので、平成元年にメンバーになってハンディも9までいき、クラブ競技には出なかったけど、コースにはよく通いました。

ベストスコア? 千葉の鷹之台CCで2回出した75です。39・36と37・38かな。ハーフの35というのは2度ありますよ。ま、飛ぶほうではないけど、寄せとパットは好きです。もともと現役時代は技能賞5回の技能派力士でしたからね(笑)。

>>後編につづく

石田 佳員

いしだ・よしかず。1949年生まれ。大相撲の元関脇鷲羽山。身長173センチの小兵力士ながら輪島・北の湖らの大型力士時代に活躍。突っ張り、押し、いなしなど多彩な技で人気を博した。1985年11月引退。引退後は境川、出羽海、高崎親方として後進を指導。岡山県出身

週刊ゴルフダイジェスト2025年11月18日号より