【ゴルフせんとや生まれけむ】羽鳥好之<後編>「歳を経るにつれ、プレー以外の愉しみに…」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、作家の羽鳥好之氏。
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- ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、作家の羽鳥好之氏。 長らく勤めた出版社を3年前に退社し、それを機会に小説を書き始めました。歴史小説を2冊刊行した他、雑誌にコラムを連載したり、新聞に書評を寄せたりしています。 ゴルフは大好きでずっとやってきました。大学に入ってすぐ河川敷でデ……
多彩な作家のコンペの中で、私がもっとも多く参加したのが渡辺淳一氏の北海道ツアーでした。毎年決まって6月に開催されたのは、本土が梅雨に閉じ込められる中、青空広がる北の大地で楽しもうという贅沢な趣向でした。JALほか航空各社には「渡辺担当」がいて、彼らの協力のもと、出版各社から30~40人が参加しました。
その初参加の折のこと。初日の成績でスタート順が決まる決勝ラウンド、最終組で回った私は、16番を終わって首位と1打差の位置にいました。迎えた17番、ティーショットをセンターに運んだ私に、同伴のベテラン編集者がこう告げたのです。「ハイ、出べそ。2罰打」打つ前に気がついていたはずで、なら、言ってくれればいいのに――。私は惜しくも1打差の2位に終わったのでした。優勝者には渡辺さんから10万円の賞金が授与され、航空会社からカップル往復航空券が副賞として渡されるのです。私は切歯扼腕(せっしやくわん)しました。
もっとも、優勝者はコース近くの焼き肉屋でみなにご馳走するのが慣例で、賞金の大半はこれで消えます。ここで供されるラーメンが絶品でした。この店こそ、先日亡くなった小倉智昭さんが後ろ盾となって東京で出店、さらにホノルルに進出してラーメン好きを沸かせたあの「なかむら」です。小倉さんは渡辺さんと親しいお付き合い、よく銀座のクラブでご一緒されていたようです。
当の渡辺さんは、健康のためもあってゴルフには精を出しておられたと思います。スコアはもちろんのこと、装いにもこだわっていて、老境に入られてからは赤やピンクなど、派手なシャツやセーターを好んで身に着けておられました。ゴルフの後は銀座で食事をしてもうひとつのクラブにゆく。天下の流行作家は銀座の街の華でした。
昔話はこのへんに私のゴルフはといいますと、一時、年平均スコアが90前後までいきましたが、いまは、100を切れれば御の字、下手になったねえと昔からの仲間に揶揄(からか)われています。ドライバーの飛距離も200ヤードをようやく越える程度。スコアにはこだわり続けたいと思いつつ、使い続けてきたスチールシャフトのマッスルバックがさすがに重荷になってきました。さらには足腰の衰えが顕著となり、昨年、ドライバーを強振して内転筋断裂の重傷を負ってしまった。目下の課題はいかに全身の力を抜いて振り抜くか。これが簡単なようで難しいのです、私には。
一方で、歳を経るにつれ、プレー以外の愉しみにも目覚めつつあるように感じます。前夜に、PC画面でコースレイアウトを丁寧になぞってみたり、古いパターを持ち出してタッチを試してみたり、そんなことで気分を高めています。そう、明日どんな服装でゆくか、天候をチェックしてあれこれ考えるのも楽しい。電車でゆくなら、帰途、仲間とどこで一杯やるか、それをネットで探すのは至福の時間ですね。ゴルフには年齢相応の楽しみ方がある、かつて私淑したゴルフ名人の言葉が思い出されます。

羽鳥 好之
1959年生まれ。群馬県出身。早稲田大学仏文科卒。1984年文藝春秋に入社し、「週刊文春」「文藝春秋」「オール讀物」など、雑誌編集の道を歩む。退社後の2022年、『尚、赫々たれ 立花宗茂残照』で作家デビュー、本書で日本歴史時代作家協会賞を受賞した。23年から金沢学院大学特任教授。
週刊ゴルフダイジェスト2025年6月10日号より