【ゴルフせんとや生まれけむ】新田純一<前編>「叙々苑カップ出場のために猛練習! 結果は…」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、俳優の新田純一氏。
ボクがゴルフを始めたのは20代前半のときでした。父親(トランペット奏者のビン筒井さん)がゴルフ好きで、練習に付いていって7番アイアンを打ったのが最初ですね。初ラウンドも父親と行ったことは覚えています。父親と、父親の兄弟と一緒に行った思い出がありますね。でも、当時は「クラブを何本か持って走れ」という時代ですから、スコアがいくつだったのかは覚えていません。
その後、役者の仕事で一時期、京都に住んでいたことがあるんです。時代劇をレギュラーでやらせてもらっていたのが25~26歳の頃ですかね。ボクは結婚を2回しているんですが、1回目の結婚のときです。京都の友達もゴルフ好きが多くて、その中に練習場の経営者もいて、ゴルフをする環境には恵まれていました。
ゴルフクラブを初めて買ったのもその頃で、本間ゴルフのフルセットが30~40万円したんじゃないかな。かなり高価でした。でも、プロにちゃんと習ったわけではないので、どうしたって自己流なんですよ。手にマメができるほど打ちまくっても、大して上手にならず、スコアは100前後をウロウロしていましたね。
20代後半になると(読売)ジャイアンツの槙原(寛己)とか、宮本(和知)とか、村田(真一)と知り合いまして、彼らとボクは同級生なんですよ。そのコンペに入れてもらってゴルフに行く機会が増えました。野球選手の彼らはみんな飛ばすので、「飛ばないな」と言われるのがイヤで、当時はスコアよりも飛距離ばかり気にしていました。ボクも空手をやっていたので、腕っぷしは強かったんですよ。
92年4月からは中日ドラゴンズの応援番組の司会を担当させていただくことになり、96年3月まで毎週土曜日に名古屋で生放送をしていました。オフシーズンになると選手たちとゴルフに行ったりしましたが、仕事のお付き合いの延長でしたから、90台が出たら御の字というレベルがずっと続いていました。
そこから90の壁を突き破るきっかけになったのは叙々苑カップ(芸能人ゴルフチャンピオン決定戦)だったかもしれません。18年に初出場させていただいたのですが、テレビに映るので何とかカッコいいところを見せたいじゃないですか。ちょうどその頃、芸能界の兄貴分の松崎しげるさんがプロゴルファーの江連忠さんと一緒に「DANDY GOLF」(ダンディゴルフ)という番組をやっていたんですよ。その番組にマンスリーゲストで呼んでもらい、現場で江連さんに教わって、その後はインドア練習場で猛特訓を受けました。そうしたら今までやってきたことと全然違うことを教わりました(苦笑)。
その特訓の成果もあり、叙々苑カップの本番では82という人生のベストスコアを出すことができました。ホールアウトした時点で暫定1位に並んだのですが、ボクは最終ホールでトリプルボギーを叩いていたので、ネットスコアが同じ場合は18番ホールから順番にスコアを比較するカウントバック方式で4位でした。でも、初出場で4位に入り、ベストスコアも出せたので大満足でした。
>>後編につづく
新田 純一
1963年生まれ、東京都出身。82年にアイドル歌手としてデビュー。その後、21歳で俳優に転身。時代劇を中心にドラマや舞台で活躍。16年頃から健康的に断食を行うファスティングを本格的に始め、現在はファスティングマイスター学院の顧問を務めている
週刊ゴルフダイジェスト2025年2月4日号より