【ゴルフせんとや生まれけむ】河本育之<前編> 田中幸雄の飛距離を見て「こいつにはかなわないな」と思いました
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、元プロ野球選手の河本育之氏。
ゴルフを始めたのはプロ野球に入る前にお世話になっていた社会人野球時代です。チームメイトに誘わ
れて1回だけゴルフ場に行きました。野球は左投げ左打ちですが、ゴルフは右打ちで始めました。なぜかというと小さい頃、家に親父の右打ち用のクラブがあって、それで遊んでいたんですよ。だから右打ちで何の抵抗もありませんでした。初めてコースを回ったときのスコアは、前半ハーフが58くらいで、後半ハーフが53で、もうハーフ回ったら45でした。そのとき思ったのは「これってOBを出さなければ、そこそこのスコアで回れるんだな」ということでした。
次のラウンドはプロ入り1年目のオフですから、92年の秋です。納会ゴルフで八木沢(荘六)監督とかすごいメンバーと一緒でしたから、接待ゴルフみたいなもんです(笑)。スコアは確か108でした。そのオフは100をちょっとずつ超える感じのスコアがずっと続きました。そうなると次の年は負けるのが悔しいじゃないですか。だから秋季練習の時期にゴルフも猛練習しました。秋季練習が3勤1休だったのですが、練習が終わると打ちっ放し練習場に直行です。毎日ドライバーだけ800球から1000球くらい打ちました。最初は自己流で、それこそゴルフダイジェストのレッスン記事を読みながら徹底的に打ち込みました。そうしたら2年目には90台が出るようになりました。
その後、ゴルフが上手なクルマ屋さんと知り合いになり、少し教わりました。でも、そんなに良くなったわけではなくて、80台がちょこちょこ出るようになったくらいでした。そこから70台がコンスタントに出るようになったのはグリップを直したのがきっかけでした。ウィークグリップからストロンググリップに変えたらドライバーが明らかに飛ぶようになりました。ただ、今までと同じ打ち方をするとボールがつかまりすぎて左に飛びますから、ストロンググリップにしてボールを打ち出す方向を変えました。そうしたら飛距離がグンと伸びました。
ボクは身長173センチとそれほど大きくありませんが、現役時代はドライバーショットが300ヤードを軽々と超えていました。当時の千葉ロッテでボクより飛ぶ選手はいませんでしたから、だいたいドラコンを取っていましたね。他のチームの飛ぶといわれていた選手とも一緒に回りましたが、「なんだ、こんなもんか」と思ってしまったくらいです(笑)。
ただ唯一、「こいつにはかなわないな」と感じたのは(日本ハムの)田中幸雄でした。だって練習場でボールを打っているところを見ていたら、打った瞬間にボールが見えなくなるんですよ。そして途中からボールが空に「ポン」と出てくるんです。「何なんだ、これ」と思いましたね。コースに出たら、ボクだって300ヤード以上飛んでいるのに、40~50ヤード置いていかれました。フェアウェイでも9番アイアンで180ヤードですからね。構えを見ると、フェースをちょっとかぶせるから「これは飛ぶよな」と納得しました。
河本 育之
1967年生まれ、山口県出身。高校卒業後、社会人野球を経て91年ドラフト2位で千葉ロッテに入団。プロ入り1年目から抑え投手として活躍。00年トレードで巨人に移籍。04年トレードで北海道日本ハムに移籍。05年自由契約で東北楽天に移籍。07年現役引退
週刊ゴルフダイジェスト2024年9月24日号より