【ゴルフせんとや生まれけむ】ラッシャー板前<前編>「羽川豊プロの一言で考えが変わりました」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、お笑い芸人のラッシャー板前氏。
僕のプレースタイルは一言で言うなら“守りのゴルフ”。林に打ち込んだ時、ちょっとだけ空いた隙間を狙って打つような冒険はしないで、堅実に横に出すタイプです。そんな僕のプレーを見てタカさん(ガダルカナル・タカ)は「ラッシャーのゴルフはつまんねえなあ」って言うんですけど、僕だって昔はタカさんと同じように冒険というか無謀なことをやってさんざんスコアを乱してきたんですよ(笑)。でも、あるゴルフ番組を羽川豊プロと一緒にやるようになって「そんなところ、プロだって狙わねえよ」って言われてから考え方が180度変わりました。狙いたいのをグッとこらえて横に出すのも、またゴルフなんですよ。
ゴルフを始めたのは師匠(ビートたけし)に弟子入りしてすぐでしたから22、23歳の頃でしたね。うちの師匠も最初は「ゴルフなんてやるか」とか言っていて、僕もゴルフはお金持ちがやるもんだと思っていたので全く縁がなかったんですよ。でも、そのうち師匠が大橋巨泉さんに勧められてゴルフをするようになると、師匠の付き人をやっていた僕もメンバーが足りないと仲間に入れてもらったりしてクラブを握るようになりました。
当時は練習もよく行っていましたね。毎週日曜日の「スーパージョッキー」の本番が終わると必ず師匠と一緒に芝のゴルフ練習場に行って何百発と打ってましたから。それでも最初の頃の僕は空振りばかりで全然ボールに当たりませんでした。そもそも止まったボールを空振りするなんてことがあるわけないと思っていたので、どうにも納得できなかったんです。恥ずかしいから「今のは素振りです」ってごまかそうとしてもダメでした。素振りと空振りじゃ音が違うんですよね。僕は学生時代、柔道とサッカーをやっていて、野球やテニスなどバットやラケットで“ボールを打つ”経験があまりなかったんです。背負い投げの動きとスウィングが結び付いているとは思えないですから、初めの頃の空振りも仕方なかったかもしれませんね。
で、そうこうしているうちに師匠が“例の事件”…とある会社にちょっと乗り込んじゃったアレ、で謹慎することになって、伊豆でゴルフ三昧の毎日を送ることになりました。僕はたまたま痔で入院していて乗り込みには参加していなかったので、留守番役としてつまみ枝豆や井手らっきょらとレギュラー番組に師匠の代役で出演していました。だから、伊豆でのゴルフ三昧に僕は加わっていないんですよ。でも、タカさんは師匠と一緒に毎日ゴルフ、ゴルフなんですからそりゃすぐにうまくなりますよ。今でもなかなかタカさんにかなわないのは、もしかしたらその時のことが影響しているのかもしれませんね。
僕は今年で61歳になりますが、ゴルフを始めてかれこれ40年近く、その間途切れることなくずっとゴルフを楽しんでいることになります。それでもゴルフに飽きることはなく、今でも夢中になっているんですから、やっぱりゴルフっていうスポーツは素晴らしいスポーツなんだと改めて思いますね。
ラッシャー板前
1963年千葉県生まれ。高校卒業後2年間の板前修業を経て、憧れていたビートたけしの付き人に。「たけし軍団」の中心メンバーとして活躍。近年はレポーターとしても人気があり全都道府県の温泉を制覇している。ベストスコア80
週刊ゴルフダイジェスト2024年7月23日号より