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【ゴルフ野性塾】Vol.1828「傾斜への慣れがアプローチの第一歩」

KEYWORD 坂田信弘

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

フッと10年前を
想う事がある。

昨日の夕食、何を食べたかを考える時、少しの時間必要となるが、10年前のあのきつねうどん旨かったな、との想い生じるは瞬時だ。
私は自宅の食堂のテープルで原稿を書く時、東と南の街と山を眺めながら執筆する。
現在時5月23日午前8時30分。
女房殿がベランダの樹と花ヘ水やりを始めた。
1メートルの小さな樹への水やりを日課としている。
ポットで樹と花の根元に水を注ぐ。
急がずにゆっくりとだ。

飛行機過ぎる音が開こえて来た。
しかし、機の姿は見えない。
暫く経って、ようやく南から北へ向って着陸態勢一機、ゆっくりと降りて行くのが見えた。
午前9時を過ぎた。
風呂に入ってひと眠りがいつものコース。
今日も平和。
然り気ない日々が過ぎて行く。

逆向きの素振りで傾斜を確認せよ。

アブローチの距離惑がわかりません。ショートすることが多く、そういうホールが続くと、今度はパンチが入って、ピンを大きくオーパーしてしまいます。寄せワンが取れたらスコアがかなり違つのはわかっていますが、グリーンを外すとほぼパーが取れません。プロはアプローチの距離感をどうやって出しているのですか。どんな練習をすれば距離感を磨けますか。(東京都・川村斗真・34歳・ゴルフ歴5年・平均スコア98)


傾斜である。
傾斜への対応力が固定化されれば、距離感も固定化されて行く。

ゴルフ始めて3カ月が過ぎた頃だった。
鹿沼CC南コース5番でグリーン奥からの難しいアプローチを残した。
下り傾斜、ラインは右へも左へも行きそうな順目のラインだった。
ラウンド経験もアプローチ練習も充分でないゴルフ始めて3カ月の研修生だった。

読んで分る筈もない。
それでも読まなきゃ、納得しなきゃ打てなかった。
一人でラウンドしてる時はそれでいい。
前もいなきゃ後ろもいない。
時間は充分にある。
打った。
チャくった。
何故、ダフったのか、を考えた。
第4打のアプローチを打った。
また、チャくった。
5オン1パットで5番ホールを終えた。

ゴルフは模倣から始まると思う。
上手い人のスウィングを真似、理想とするプロゴルファーのスウィング写真を眺めては真似、そして、一緒に回ってくれる人の技術を盗んで行く。
向上心を生かすには幾つもの手段あるが、小技では上手い人の打ち方を盗むのが一番の手段と思う。
大技であれば眺め続けていれば必死さある程に体が覚えて行く。
アプローチはアプローチの上手い人とラウンドするのが一番の上達の途。
研修生、プロ、トップアマの領域、上手い人と回るのを嫌う性分では成功しない。
自分より上手い人と回れるラウンドを求める性分が成功する。

先輩のアプローチは栃木県一だった。
私は幸運だった。
こちらは毎日、お客さんのキャディやってたから先輩研修生と一緒にラウンドして貰う機会は一週間に一度もなかった。
そのラウンドでの叱責だった。
グリーンを狙って行っても行く球は右や左。
そして手前か奥だ。

「お前のアプローチは迷惑アプローチだ。目標に向って逆の素振りをしろ。一回だけだ。そして目標に向ってアドレスし、素振りなしで打て。それで駄目だったら研修会出場は諦めろ。プロは無理だ」

先輩研修生は、私の身近にいる一番ゴルフの上手い方だった。
鹿沼のクラブチャンピオンもその方にラウンド4枚は貰っていた。
アシスタントプロ研修会でも常に県ベスト3に入る方だった。
先輩のアプローチと自分のアプローチを重ね合せたいと願っていた。
先輩とラウンド、週に一度、二度と総ての回数、増える程にアプローチの時間だけが長くなって行った。

その夜、南5番ホールグリーンヘ行った。
奥から100球打った。
ビンの奥にドライバーとスプーンをクロスさせてグリーン上に置き、ラインを外れてもそのクロス部分に球が集まる様な練習が私のアプローチとパッティングの練習だった。
ショートすれば次の球からショートの球に当る。
ラインがふさがれ、邪魔になる。
どかしに行かなきゃならない。
だから研修生の練習は常にピンオーバーだ。

ショートさせて、練習中断してその球をどかしに行く様じゃ時間取られて、集中も散漫になって練習にはならぬ。
クロスのクラブ飛び越えて行けばどかす手間はないが、5メートル10メートルオーバーしてる様じゃ使い物にならぬ。
カップに入らずともシャフトにくっつくアプローチでなきゃミスだ。
その頃、私はカップ先、2メートルにクラブを置いていた。
ゴルフ始めて最初の1カ月は3メートルだった。

3時間過ぎていた。
帰りが遅いと心配した警備の自衛隊出身の岡部さんがオートバイで5番ホールに来てくれた。
熱心だネ、熱心だネ、と言ってクラブハウスヘ戻って行った。
冬の空、星も月もキラキラだった。
足の指先の感覚は消えていた。
その夜、300球打った。
最後の50球、ピンと反対にアドレスし、素振り1回、そしてピンに向ってアドレスし、素振りなしで打った。
次の夜も5番ホールグリーンヘ行った。

ゴルフ始めて10カ月後、栃木県のアシスタントプロ研修会に出た。
周りはまだ早いと言っていたが、先輩研修生が強く推薦してくれての出場だった。
日光CC。88・76の164が私の初陣スコアだった。
翌月の小山GCの研修会で優勝した。スコアは72・72の144だった。
その頃、アプローチ練習、ビン奥1メートルにクラブを置いていた。

ゴルフ始めて3年11カ月でプロテストに通った。
そして翌年ツアー参戦した。
先輩はアプローチが抜群に上手かった。アプローチ球で文字の描ける方だった。
あの日を想う。
月灯り、星灯りの練習をした日々から52年が過ぎた。

貴兄はピンの逆方向に向って一度の素振りをせよ。
そしてピンに向って構え、素振り一度で打って行け。
これで体が傾斜に順応しスムーズな始動が可能となる。
素振りは一度だ。
健闘を祈る。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2024年6月11日号より

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