【名手の名言】フレッド・コーコラン「彼はゴルフの中で最も会得が難しいといわれる“集中力”をマスターした天才である」
レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は天才的プロモーターとしてPGAツアー繁栄の礎を築いたフレッド・コーコランの言葉を2つご紹介!
彼はゴルフの中で
最も会得が難しいといわれる
「集中力」をマスターした天才である
フレッド・コーコラン
この言葉に出てくる「彼」とはベン・ホーガンのこと。
フレッド・コーコランはツアーを宣伝するプロモーターであり、「彼(ホーガン)にとって私は目障りであったろう。彼は私に沈黙を守り、私はついにその沈黙を崩せなかった。それでも私の彼への尊敬の念は不変だった」と著書の中で述べている。
コーコランの“ホーガン観”を続けよう。
「一度たりとも人気を得ようと思ったことはなく、ヒーローに対する賛美にも無関心で、常に冷静で控えめ。プレー中も他の選手から離れて1人で歩くのが好きだった。にもかかわらず、私が知り得た全選手の中で最も誠実かつ正直。生まれてこのかた嘘をついたことがあるのだろうか?」
「いかなる状況でも、彼はゲームに勝つことができ、その気迫は見る者すべての胸を打ち、その凄まじい精神力に息をのんだ。彼には笑う時間など残されていなかった」に続いて、表題の言葉へとつながるのだ。
アイスマンと呼ばれたホーガンの人となりがうかがえる述懐である。
パターを持参して
神の祝福を与えてもらったらどうだい?
フレッド・コーコラン
コーコランは、「ボーンスウィンガー」と謳われたサム・スニードのマネジメントもしていた。
スニードは、生まれつきシルクのようなスウィングをするといわれていて、ショットの切れ味はツアー随一と評価されていたのだが、ひるがえってパットはお粗末であった。
そんな2人がヨーロッパを旅行中、ローマ法王に謁見する機会が訪れた。そのとき、コーコランが放った冗談が表題の言葉である。その冗談に大きく頷いたスニード。本当にパターを持ち込んだのである。
その謁見の模様をコーコランは後日、こう描写している。
<セントピーター寺院の聖堂内特別室で、法王と謁見したときのサムの様子を、私はいまでも思い出す。彼の全身は鉄でできた人形のようにぎこちなく硬直し、彼の眉毛は飛び上がって脳天まで達していた>(マイケル・ホッブス編、夏坂健訳『ゴルフ大全』より)
この話には続きがある。
やがて法王とゴルフの話になって、法王が100も切れないゴルファーだとわかってくる。しかも法王は自分のスウィングとパッティングについてスニードに懺悔までしたのだから、コーコランは吃驚仰天。
スニードはパターを持って帰るとき、神は私を見捨てたもうたといった表情で大きく溜息をついたという。
■フレッド・コーコラン(1905~1977)
米国・マサチューセッツ州生まれ。天才的プロモーターとしてPGAツアーを育てた中興の祖。それまでの賞金総額を6倍にし、PGAツアーを隆盛へと導いた。またサム・スニード、女子プロ歴代の最高アスリートと謳われたベーブ・ザハリアスのマネジャーも務めた。マネジメントはゴルファーだけでなく、メジャーリーグのテッド・ウィリアムス、スタン・ミュジアルも手がけた。
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