【ゴルフせんとや生まれけむ】 佐々岡真司<後編>「前半52・後半32で回ったことも…」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き、元野球選手の佐々岡真司氏。
選手を引退してから解説者をしていた時代に、男子ツアーのミズノオープンで当時アマチュアだったシニアプロの田村尚之さんのキャディをしたことがあります。田村さんは地元が広島ですから選手時代から交流があり、「キャディをしてくれ」とずっと言われていました。スケジュールがなかなか合わなかったのですが、ある年の2日目ならできるということになり、1日だけキャディをしました。予選を通るか通らないかギリギリのスコアだったので「絶対に通るようにしてくれ」と言われたのですが、「僕にそんな力はありませんよ」と返しました。そうしたら最終ホールでバーディを取って、本人の力で予選を通過しました。
田村さんの息子さんともよく一緒に回るのですが、広島県内のゴルフ場でクラブチャンピオンを取るほどの実力ですから、ものすごく上手です。一方で、RCC(中国放送)のアナウンサーをしている娘さん(田村友里さん)と一緒に回ったときは「この子はお父さんの血筋とは違うんじゃないか」と思いました(笑)。
引退後に解説の仕事を7年間していたときは、年間100ラウンドくらい行っていましたからスコアもよかったです。ベストスコアは1アンダー71です。でも、ハーフのベストは4アンダー32ですから、それが前後半そろえば60台のスコアも出せるはずです。ハーフ32は何回かありました。前半で32が出たときは60台を狙うのですが、後半は必ず40以上打ってしまいます。逆に前半が52で、後半開き直ったら32が出たこともありました。同伴者には「何なんだ、そのスコアは!」と驚かれました(笑)。
解説者時代はクラブ競技に出たこともありました。中学時代に遊んでいた金城カントリークラブ(島根県)のメンバーになったら、先輩から「競技に出ろ」と言われました。予選でベスト16に残ったら決勝のマッチプレーに行けるという話でしたが、翌週は野球解説の仕事が入っていたので、決勝には出られないことが決まっていました。「予選を通ったら棄権しろ」ということで予選に出たら11位でした。せっかくマッチプレーに残れたのに残念でした。1回くらいやってみたかったのですが……。
それ以降は競技に出場することもなく、エンジョイゴルフに徹しています。印象に残っている出来事といえば、同伴者のホールインワンですね。僕と黒田(博樹)と新聞記者2人と一緒に回っているとき、打ち上げのホールで新聞記者のボールがピンに向かって真っすぐ飛びました。「ベタピンかな」なんて話しながらグリーンに上がるとボールが3個しかなかったんです。打った本人は「あれっ、オーバーかな?」とグリーン奥を捜しに行ったんですが、僕と黒田がカップを見たら入っていました。この話には続きがありまして、数カ月後に黒田が別の人たちと同じコースに行ったとき、同じホールでホールインワンしたんですよ。しかもキャディさんまで同じ人だったそうです。僕はそのときいなかったんですけど、黒田から記念品をもらいました(笑)。
佐々岡 真司
ささおか・しんじ。1967年生まれ、島根県出身。89年ドラフト1位で広島に入団。1年目から13勝(11敗)17セーブを挙げ、セ・リーグ会長特別賞を受賞。その後も先発と抑えで活躍し、現役生活18年で138勝106セーブ。20~22年に広島の監督を務めた後、現在は野球解説者
週刊ゴルフダイジェスト2024年1月30日号より