【ゴルフ野性塾】Vol.1783「芯捉えの確率を高める練習を続けよ」
古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。
本稿、5月18日
午前2時5分に
ペンを持っての執筆であります。
5月11日、木曜日の午後、いつも通り野性塾大濠公園の18名のメンバーが集った。
集いの場所は相も変らず大濠公園内のスターバックス、屋外のテーブル。
「坂田プロ、悔いの経験、幾つかお持ちと思いますが、お話し願えませんでしょうか?」
18名全員、会社の部長か取締役、そして親か爺さんの起した会社の跡取り息子である。
「恵まれたお前さん方と私では悔いの中味、大きく違うだろうな。プロになってすぐにツアー参戦し、6年過ぎた時だから年齢34歳の頃と記憶するが、一日1つの悔いをホテルのメモ用紙に書き始めた事がある。一日3つ4つの悔いを経験する日もあったが、2つの悔いは書かず、1つだけ記した。そして、その頃のツアー成績はギリギリで予選通るか落ちるかのタイトロープみたいな成績だった。
3カ月過ぎた時と記憶する。書いて来た一日1つの悔いを記したメモ内容に眼を通した。同じ悔いが33カ所、メモ用紙に残っていた。3分の1以上の同一の悔いを残して来た訳だ。長男雅樹4歳、長女寛子1歳の時だった。グリーン上のパッティング下手を嘆く悔い33カ所だった。メモに眼を通した後、無性に雅樹と寛子に会いたくなった。しかし、九州周防灘へ帰るには旅費不足だった。予選通れば帰れた。落ちれば次の試合地近くに住む友人か支援者の家で過す日々だった。その週、予選は通った。ただし、通過スコアに一打の余裕しかない相も変らずのタイトロープだった。
習慣一つ持っていた。ホテルの部屋でパット練習する為、毎日、パターをホテルに持ち帰っていた。夕食終えて部屋に戻った。ホテルはその地区で一番安いホテルに泊っていた。部屋での練習時、私は球は転がさない。夜中や早朝に起きてストローク、ラインの確認練習をする事もあり、球を打ったんじゃ隣の人に迷惑掛ける。プロゴルファー、成績のいい者はいいホテルに泊る。しかし、三流半の予選通るか否かの者に一流のホテルに泊る余裕はない。三流半は三流半の中で過して行くのがツアー生活だ。だから私は球を転がさずにパッティング練習した。狭い部屋だ。
物書き稼業を始め、漫画原作を書き始めて何が変ったかと申せば泊るホテルだった。その街で一番のホテルに泊った。今も一番のホテルに泊る。ニューヨークでもロンドンでもミラノでもセント・アンドリュースでも神戸でもだ。神戸は神戸ポートピアホテル。値段以上のいいホテルだと思う。いいホテルは総てそうだった。値段以上のホテルであり、値段以下のホテルはなかったな。
早朝、5時だった様に記憶する。三流半の部屋でストローク練習した。早く眼が醒めるんだ、ツアー三流半の生活は。超一流は熟睡する。三流半は半覚半睡の時間が長い。半分、眠っていたのかも知れぬ。部屋の椅子の脚にクラブヘッドをぶっつけた。強く振っていたのだろう、このぶっつけた瞬間の音、妙に高かった。両隣の部屋に泊っているのは私と同じ三流半のプロだった。面識はあった。予選ラウンド、一緒の組になる事、多かったからな。練習を止めた。超一流と一流のプロ、己の練習に遠慮はない。三流半は遠慮の時を持つ。悲しい事じゃあるが、それが現実だ。ベッドの端に座った。フッと思った。インパクトの音で己を変える事、出来るのでは、と。
パット練習は硬い球を使え。
その週の試合、上にも上らず、下へも落ちず、50位前後だったと記憶する。日曜日、ゴルフショップに行った。硬いボールを探した。あった。他のメーカーボールだったが1ダース買った。
結論を言う。パッティング練習のボールはラウンドボールよりも硬い球を使え。軟らかい球は芯を外して打っても転がる距離とライン、大きく変りはしない。だが、硬い球だと芯外した時、距離とライン、大きく変って来る。パッティングには集中が要る。練習でもコースラウンドでもだ。集中力を生み、芯捉えの確率高めるにはコースラウンド時に使う球よりも硬い球を打つが最善と思う。
小さな事だ。しかし、何でも小さな事から始まるものだ。小を粗末にすれば大は生れない筈。己の身の周り、大切にしなければ己の老後は辛くなると思うぞ。愛する人、家族、友人、お世話になった人、お世話して来た人、その方達を粗末にしてはいけないな。
試合時の練習グリーン、私は硬い球を転がした。すぐの結果は出なかった。気配もなかった。それで硬い球を転がすのは止めた。私の悔いだ。結果出なくとも続けていれば挑みの勇気、生れていた様な気はする。40年も前の話だ。しかし、忘れてはいない。私は今もプロゴルファーであるし、プロゴルファーだった。長男雅樹は趣味はゴルフ、職業もゴルフと言っている。幸せだと思う。私はゴルフを趣味とする事は出来なかった。頭とゴルフに向き合う姿勢が硬かった。
悔い1つを記すメモはいつの間にか止めていた。それも今となっては悔いなのかも知れない。お前さん達と会うと過去に戻る。いい事でもあるし、己の姿勢を正すいい機会になっている様にも思う。今日のコーヒー一杯の出会いに感謝する。それでは次なる機会に。今日はこれで終りだ」
18人は立ち上った。
礼儀を知る18人の男達だった。
頭を下げて私を見送る者に右手を上げて私は背を向けた。
私はマルマン、マジェスティと契約し、スリクソンと契約し、マンシングと契約し、アシックスと使用契約して来たが、今もその契約は続いている。
有難い事だ。
「76歳で現役ツアープロでもないのに契約して貰えるなんて不思議な世界。感謝しかないわよネ」と女房は言う。
「お父さんの存在だよ。そんなプロ、どこにもいないと思うけど、親父が死んだら分ると思うぜ」と長男雅樹。
雅樹は分っている。女房も分っていると思うが、私への少しの反抗なのかも知れぬ。
私は汗で濡れた衣類以外は1日間着て来た。下着もそうだ。
洗濯機が退屈していると女房は言う。
「毎日、代えて下さい。夏でも冬でも臭うんですよ」と言うが、私は無臭人間。
女房と洗濯機の退屈に付き合う気はない。日々、変りなく過しております。
体調は良好。
それでは来週。
坂田信弘
昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格
週刊ゴルフダイジェスト2023年6月6日号より