【ゴルフせんとや生まれけむ】山本和行<前編>「ゴルフとの出合いは大学の頃。野球部のランニング中に…」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は元プロ野球選手の山本和行氏。
僕がゴルフというスポーツに出合ったのは大学4年生のときでした。亜細亜大学で野球をしていまして、大学の寮が日の出町(東京都西多摩郡)にありました。そこから何人かの選手でロードランニングに行ったら、長い距離をずっと走っている間に、青梅ゴルフ俱楽部があったんです。その当時は道路の横からゴルフ場の敷地内に入れたんですね。するとプレーしているメンバーさんがいたので「すみません、僕たち大学の野球部の者です。ボールを捜しに行きますから、ここでランニングをさせてもらっていいですか?」と聞いたら、なんと「いいよ」と言ってくださったんです。その人がティーショットを打つと、右に行ったり左に行ったりするので、僕たちはボールのところまでダーッとダッシュをして「ここにあります!」と教えます。セカンドショットを打つと、今度はグリーンの近くまでダッシュします。そうやって9ホールくらい一緒に回りました。そして「ありがとうございました!」とお礼を言って帰りました。時代ですよね(笑)。大学のグラウンドに戻って「あれ、面白そうだったな」ということで、グラウンドに穴っぽこを開け、野球のボールをバットでパターのように転がして「何回で入るかな」と遊び始めました(笑)。
僕はチームのエースでしたから、リーグ戦の試合前になると特別にマッサージを受けに行っていました。マネジャーと一緒に車で立川まで行って、治療を受けて帰ってくるんですけど、その帰り道にたまたまゴルフ練習場がありました。「1回行こう」ということになり、左用の貸しクラブがあったので何球か打ったらけっこう当たって「これは楽しいな」と思い、マッサージの帰りにヒマがあったら練習していたんです(笑)。
プロ野球に入ってシーズンオフになったときに「本格的にゴルフをやろう」と思い、左用の安いクラブを買い集めました。最初はドライバー、スプーン、3、5、7、9番アイアン、パターの7本でした。シャフトの硬さもバランスもバラバラでしたが、練習したらだんだんうまく打てるようになってきました。僕は地元が広島なのですが、高校の同級生でゴルフを始めたのが何人かいたので、一緒に初ラウンドに行きました。ラウンドしたのは当時の広島中央ゴルフクラブ(広島安佐ゴルフクラブ)です。ところが練習場ではゴムティーでドライバーを打って真っすぐ飛んでいたのに、コースでは木のティーじゃないですか。それだとチョロばっかりなんですよ。ちゃんと当たったら今度はどスライスのOBで、最初のハーフは55か60くらい打ちました。
1年目のシーズンオフに、11月、12月、1月の3カ月間で15~16回ラウンドに行きました。朝早くからスタートし、ワンハーフやって、プレーが終わったら風呂にも入らず練習場に行って、どハマりでしたね。2年目はオールスター休みにゴルフに行けるのが楽しみで、そのころにはもう90台で回っていました。ハーフセットじゃ物足りなくなって、アイアンをフルセットに買い替えました。
>>後編につづく
山本和行
やまもと・かずゆき。1949年広島県生まれ。71年ドラフト1位で阪神に入団。75年から主にリリーフで起用されるようになり、82年と84年に最優秀救援投手のタイトルを獲得。88年現役引退。プロ通算700登板で116勝106敗130セーブ
週刊ゴルフダイジェスト2023年4月25日号より