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【ゴルフせんとや生まれけむ】柴田 勲<前編>「試合で使っていた赤い手袋。実はレディースのゴルフ用グローブだったんです」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回からの語り手は、元プロ野球選手の柴田勲氏。

僕がゴルフを始めたのはジャイアンツに入って3年目か4年目のオフでしたから、21~22歳のころだったと思います。シーズン終了後に東京よみうり(カントリークラブ)で祝勝コンペが開催されるのですが、川上(哲治)監督から「おまえもレギュラーになったんだから出てこい」と言われまして、「はい、わかりました」と練習を始めました。

練習場には4~5回通いましたかね。僕は最初からドライバーが曲がらなかったんですよ。そのころ通っていたメシ屋のご主人がゴルフ好きで「今度、祝勝コンペに出るんだ」という話をしたら「それならいっぺん(ゴルフ場に)連れていってやるよ」と誘ってくださいました。(ノーザンカントリークラブ)錦ヶ原ゴルフ場という河川敷コースに行ったのですが、89で回りました。パターもそんなに下手じゃありませんでした。その後、2回目のラウンドが東松山(カントリークラブ)で、そのときも87か88で回りました。そして3回目のラウンドが東京よみうりでした。


祝勝コンペに行ったら「プロ野球選手はハンディ36なんてないから、最初からハンディ18でやれ」と言われまして「はい、わかりました」とプレーしたら、83で回って優勝しました。グロス83でハンディ18ですからネット65でブッチギリ(笑)。「おまえ、本当に初めてか!?」と言われてしまい、翌年のコンペはハンディ9になっていました。それでも優勝しましたから、ゴルフを始めて2年目には70台で回っていました。

僕はプロ入り6年目の1967年から赤い手袋をはめてプレーするようになったのですが、実はこの手袋、女性用のゴルフグローブでした。この年の春季キャンプで僕はフロリダ州ベロビーチで行われていた(ロサンゼルス)ドジャースのキャンプに参加していたのですが、走塁練習中に手を擦りむき、バッティング練習ができなくなってしまいました。最初はばんそうこうを貼っていたのですが、それだと滑るんです。アメリカだから周りの目を気にする必要もなかったので、隣にあったゴルフ場に手袋を買いに行きました。

ところが僕は手が小さくてグローブのサイズが23センチなので、アメリカの男性用はブカブカでした。これじゃダメだと諦めかけたところ、奥にレディスコーナーがあって、女性用の23センチの赤い両手のグローブが置いてありました。それをはめたらピッタリでした。そのグローブを買ってバッティング練習のときに使いました。

それを日本に持ち帰り、最初は走塁のときだけはめていたんです。当時はまだ素手でバットを振る時代でしたから、出塁してからのケガ防止用に手袋をはめていました。でも、2年くらいたって面倒くさくなったので打つときもはめるようになりました。そこでSSKさんがゴルフグローブを改良して野球用手袋を作ってくれました。僕が手袋をはめて打つようになったらみんなマネするようになって、今では小学生まで手袋をしていますからね。ちなみにゴルフでは白い普通の手袋でプレーしています。

柴田勲

1944年、神奈川県生まれ。法政二高では60年夏の甲子園、61年春の選抜で優勝。62年、投手として巨人に入団。強肩俊足を生かして外野手に転向し、日本初のスイッチヒッターとなる。盗塁王6回。81年の現役引退までに2018安打を記録し、名球会入り。

週刊ゴルフダイジェスト2022年8月23・30日合併号より