【ゴルフ野性塾】Vol.1741「球の高さを揃えるとフィニッシュが変る」
古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。
今日7月7日、七夕の日である。
私の住む1階のエレベーター横に七夕飾りが作られている。
何か願い事あれば、書き込みの出来る短冊に書いて笹の葉にくくり付けてくれとの配慮持つ七夕飾りである。
このマンションが出来て22年になるが、21年間、飾られて来た本物の生竹飾りであり、この風流持つ人と共に過すは幸せだ。
今年も私は書こうとしたが、今年もやはり書けなかった。
私の文字は独特である。
悪筆と言う人もあれば、個性的と言う人もおり、達筆と言ってくれる人もいる。模倣困難な字体であるからだ。
女房殿であれば一目で分る私の文字。
21年前から私の書きたい文字は一行のみ。夫婦喧嘩は止めましょう、の一行だけ。
女房殿は必ず返してくると思う。それも居間で2人だけの時。
「夫婦喧嘩の原因は亭主にあり。疑わしき行動しなさんな」
そりゃ昔はありましたよ。
長男雅樹が言いましたネ。
「ゴルフの経験、知恵、知識、予測力、対応力、総てが私生活で生かされてない。それだけOB打ってよく許して貰えるもんだ。僕はお母さんの忍耐力を尊敬するネ」
長女寛子は言った。
「お父さん、もういい加減にしときなさいよ。若くはないんだから」
短冊に書きたい。
でも書けない。
書けば確実に願い叶うと分っていれば書くが、それも反撃を生み、寝た子を起こす暴挙であろう。
私の父は軍人から和菓子職人に転じた男なれど、3カ月に一度の熊本二本木の2泊3日の遊郭遊びが何よりの楽しみであった様な気はする。
そして、母との喧嘩だ。
小学生の私は察した。
もう3カ月過ぎたのか、と。
その父は49歳で逝った。
脳出血だった。
私は49歳迄は何としても生きてやろうと思った。
私は父が大好きだった。そして父を越える事出来るは父の生きた年月だけと思った。
父と同じ生き様は出来ない。父は父、私は私であるが故にだ。
今、私は74歳から75歳へ向う途中。
父の日々は越えた。25年もだ。
現在時午後零時55分。
窓の外、雲多き薄晴れの空。
入道雲の姿をした雲、浮かぶが輝く雲ではない。
平和です。
女房殿は私の昼食の準備をしています。
女房殿と喧嘩はすまいぞ。
原稿書いている時が我が身の一番の幸せなのかも知れぬ。
それでは来週。
友を追え。
友のゴルフを真剣に模倣せよ。
ゴルフを始めて約2年ですが、壁に当たって伸び悩んでいます。シングルレベルの友人は、アイアンの球の高さを揃える練習で上手くなったとアドバイスしてくれますが、球の高さを揃えるという感覚がわかりません。まずはドライバーのスライスを直すことが先決のような気がしますが、狭い練習場のネットに向かって的当てのようにアイアンを打っていれば本当に上達できるのでしょうか。(東京都・佐々木誠也・29歳・ゴルフ歴2年・平均スコア120)
アイアンショット、同じ高さの球が飛んで行くとゆうのは飛距離が同じとゆう事である。
低く飛べばキャリー距離落ちるし、高く飛び過ぎてもキャリー飛距離落ちるのがアイアンショットの持つ特徴であろう。
一番飛距離の出る球の高さを知り、その高さに打って行くのがアイアンショットの基本スウィングを生むのであります。
勿論、ドライバーからサンドウェッジのフルスウィングは同じ振りと同じ感覚で打つを基本とするが、この時、13本のクラブ全部、同じ感覚で振る経験は必要だと思う。
貴兄の第一の疑問はアイアンショットの飛距離を整える練習であり、貴兄の友人の練習は理を知り、理に向っての練習でありましょう。
間違ってはいない。
スウィングも理に適う振りとなっている筈だ。
貴兄はスライスに悩む御仁である。
ゴルフ歴2年でゴルフ始めた時からスライスへの悩み続いている現実、そして上達の勢い、普通であると考える。
普通の現実を持つ方が普通の考えで練習するは普通からの脱出と思う。
友人の練習を踏襲すべきではあるまいか。
手本は身近に在りだ。
アイアンの球の高さを整える練習で変わるもの一つある。
フィニッシュ位置が変る。
低い位置とはならぬ。
高い位置になって行く。
体が覚える位置なれど、低いフィニッシュ位置で球の高さの均一化は生れない。
高い位置が均一を生む。
その変化一つでスウィングは変り行く。
ゴルフ始めたばかりの時、私は7アイアンで球の高さを整えようとした。
鹿沼CCクラブハウス裏の舗装していない裸地の管理道路から北コース9番右グリーン手前のバンカーへ打って行った。
距離は打ち下ろしの140ヤードと記憶するが、11月から3月迄の鹿沼は寒かった。
男体山の朝風は弱かったが、それでも向い風吹く時は寒かった。
朝の闇の中での練習だ。
芝生にもバンカーの中にも霜が降りていた。
闇の中、フェアウェイの球探しは面倒だった。球は霜を纏って丸まっていたが故にだ。
バンカーの中だと球の落ちた跡で球の回収できた。
私はプロテストに3年と11カ月で通ったが、鹿沼の1年間の研修生生活、アイアンの練習の目標はバンカーだった。
裸地のコース管理道路で打つか、バンカーからバンカーを狙って打つ練習を続けた。
ゴルフ始めて1年後、橘田規プロの指導を求めて愛知県の貞宝CCへ押し掛け入門した。
最初に入門願いの手紙を貞宝CCの社長と橘田プロに送り、次に荷物を送った。
そして小さなバッグ一つの身で貞宝へ向った。
社長と橘田プロの許可を得ぬままの行動だった。
鹿沼の社長にはプロになったら戻って来ますと言って移籍を許して貰った。
元気だった。暴挙だったとも思う。今の私であれば出来ぬ行動だった。
失敗を怖れぬ若さと上手くなりたいとゆう気持ちが起こせし貞宝入りだった。
皆、寛大だった。
面白い奴と思われていた様な気はする。
そりゃそうだ。
22歳でプロを目指し、まずは体力づくりが必要と陸上自衛隊に入り、2年任期満了の後、23歳と11カ月の時に鹿沼CCに押し掛け入社し、1年後、貞宝へ移籍したのである。
その時の私は無茶は無茶でなかった。
そして27歳と11カ月の時にプロテストに通り、鹿沼へ戻った。
鹿沼には2年居た。
福岡の周防灘へ移った。
もう一度、同じ事をやれと言われてできる事じゃない。
決断力は若き人が多く持つ。判断力は50過ぎし人が多く持つ。
ただ、いつの時も行動力を持つか否かであり、それだけの事だった。
貴兄は幸運なる方だ。
友人の練習を真似出来るのだから。
球の高さを揃える感覚など、今の貴兄に理解せよと求むるは無理な話。
まずは模倣せよ。
練習の模倣、スウィングの模倣、考え方も模倣すべきであろう。
ドライバーのスライス直しなんて放っときゃいい。
どうせ、小手先、知恵だけの修正となろうが、いい結果出る事はあるまい。
浅知恵がやる気、負けん気、へこたれん気を生む事はない。私の経験なれど、浅知恵は浮気、忍耐なしの行動を生むと思う。
貴兄のゴルフは友のゴルフと生きて行くが最善と考える。
平均スコア120のゴルフだ。
失うものよりは得るもの多きレベルのゴルフであろう。
友のゴルフを模倣せよ。
真剣に一途に必死にだ。
坂田信弘
昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格
週刊ゴルフダイジェスト2022年7月26日号より