【名手の名言】ピア・ニールソン「54ビジョンを実現できれば、世界最強のゴルファーになれる」
レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回はアニカ・ソレンスタムや宮里藍の師でもあるピア・ニールソンの言葉を2つご紹介!
54ビジョンを実現できれば
世界最強のゴルファーになれる
ピア・ニールソン
「54ビジョン」とは、18ホールすべてでバーディを奪って54のスコアを達成しょうという考え方だ。
提唱したのはピア・ニールソン。世界女子プロの頂点にも立ったアニカ・ソレンスタムの先生といったほうが、分かりやすいかもしれない。
ゴルフに完全はない。しかし、それに近づくための指標は必要である。その指標が54というスコアなのである。
現時点で、世界の主要ツアーでの最小ストロークは「58」(石川遼をはじめ5人が達成)。主要ツアー以外ではライン・ギブソンが2012年に打ち立てた「55」という記録があるが、「54」というスコアはまだ誰も達成していないし、これからも出ないかもしれない。しかし、それを不可能と決めつけると自分で限界をつくることになると、ピアはいうのだ。
ソレンスタムのゴルフをみれば限界へ挑戦していたのがよく分かる。宮里藍もこの「54ビジョン」に共鳴していて、キャディバッグにもサインにもこの数字を書き込んでいた。
藍が日本で活躍していた2005年の「樋口久子IDC」で最終日の最終ホール、2位に7打の大差をつけながら、このホールのバーディパットを決められなかったことをいちばんに悔しがった。 「54ビジョン」のもと、常にバーディを狙い続ける藍の姿勢を如実に物語るエピソードであろう。
あなたはマジックテンポを
持っているのよ
ピア・ニールソン
この「言葉」は、誰に向かって言われたかといえば……宮里藍にである。
07年のシーズン中盤、ゴルフを始めてから初めてスランプに陥った藍。きっかけはシャットフェースに上がるテークバックを矯正しようとしたことだった。これはジュニア時代からの癖で、藍もコンプレックスを持っていた。
しかし、それを直そうとしたときからショットは曲がり、予選落ちが続く。藍にとってはゴルフ人生で初の挫折であった。
そしてその年が明けて、藍は教えを乞うためピア・ニールソンの門を叩いた。
ピアは、母国スウェーデンのゴルフを興隆に導いた伝説のコーチで、米女子ツアーで一時代を築いたアニカ・ソレンスタムを見い出し、育てた人でもある。
ピアは、訪れた藍に「バックスウィングをどうしなさい」などとは、一言もいわず、表題の言葉を告げたのだ。藍の最大の長所、誰も持っていない魔法のリズムがあるのだから、それをもっと引き出すようにとアドバイスしたのだった。
そうして藍はシャットフェースという短所を、マジックテンポという長所で補うことに成功した。それが09年の米女子ツアー初優勝へとつながっているのは、藍本人が認めていることである。
ピアのこの言葉もまた魔法の力を持っていたというべきであろう。
■ピア・ニールソン(1958年~)
スウェーデン・マルモ生まれ。74年~81年スウェーデンナショナルアマのメンバーとして活躍。81年、米国アリゾナ州立大卒。83年から5年間米国LPGAツアー、87年から3年間は欧州女子ツアーに参戦。通算8勝。96年からはスウェーデンナショナルチームのヘッドプロに就任。リサロッテ・ノイマン、アニカ・ソレンスタムらに英才教育をほどこし、ゴルフ王国スウェーデンの礎を築く。その功績により国王より国民栄誉賞を授与される。99年「ゴルフ54ビジョン」(ゴルフダイジェスト社)を上梓。