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トム・ワトソンの全盛期を支えたキャディとの絆(2003全米オープン)【記者が見た“勝負のアヤ”】

記者生活50年を超えるベテラン記者・ジョーが、長い取材生活のなかで目の当たりにした数々の名勝負の中から、いまだ色あせることなく心に刻まれているエピソードをご紹介!

ワトソンとブルースは選手とキャディ以上のものがあった。まだコンビを組んで数年後のある日「君がブルースなの?」と尋ねたら、はにかみながら「そうだよ」と筆者に答えてくれたのがいまだに忘れられない

2003年 全米オープン

「トムと出会ったことが人生最高の出来事なんだ」(ブルース・エドワーズ)

トム・ワトソンは、プロ2年目にひとりの少年を帯同キャディにすることにした。ワトソン23歳、キャディのブルース・エドワーズは18歳だった。

従来のキャディは、バッグを担ぎ選手にクラブを渡すのが主な仕事だったが、ブルースは細かくメモをとり必要に応じてアドバイスをした。

ブルースは、ワトソンの求めに応じて的確なアドバイスを与え、ワトソンは77〜80年まで賞金王として君臨することができた。

ワトソンの不調により一旦はコンビを解消したが、92年、再びワトソン、ブルースのコンビがフェアウェイで見られるようになった。ところが02年、難病で当時は治療方法が確立されていないALS(筋萎縮性側索硬化症)にブルースがかかってしまった。03年全米オープンに特別枠で出場できたワトソンはブルースと共に4日間フェアウェイを歩いた。最終日18番で待ち受ける多くのギャラリーは、スタンディングオベーションで二人を迎え、大きな拍手で包み「ブルース!」と大合唱。だが翌04年マスターズの初日4月8日にブルースは49歳で永眠。

ワトソンは難病ALS研究のために100万ドルを寄付。ワトソンの活躍はブルースの活躍でもあった。

※ALSは2021年日本で薬が開発され治療が可能となった

文・構成/ジョー(特別編集委員)
年齢不詳でいまだに現役記者。ゴルフダイジェスト入社後、シンガポール、マレーシアをはじめ、フランス、モロッコ、英国、スイス、スウェーデン、イタリア、アメリカ、カナダ、メキシコ、中国、台湾、アラブ首長国連邦、オーストラリア、ニューカレドニア、タイ、インドネシアなどでコース、トーナメントを取材。日本ゴルフコース設計者協会

週刊ゴルフダイジェスト2022年5月3日号より