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初優勝は前日に出場が決まったメジャー大会。憎めない男、ジョン・デーリー(1991全米プロ)【記者が見た“勝負のアヤ”】

記者生活50年を超えるベテラン記者・ジョーが、長い取材生活のなかで目の当たりにした数々の名勝負の中から、いまだ色あせることなく心に刻まれているエピソードをご紹介!

ドライバーの飛距離に多くの人が驚き、攻め方も今までと異なってかなりアグレッシブでアメリカ人好みだった。3日目のTV中継を筆者は海軍基地内で見ていたがショットは強烈でみんなで笑ってしまうほどだった

1991年 全米プロ

「これが俺のゴルフなんだ。最高の気分だね」(ジョン・デーリー)

ジョン・デーリーは結婚、離婚を繰り返し、アルコール依存、DVと破天荒な生き方をしているが、それでも不思議と人気の高い選手だ。

アーカンソーの高校時代にはすでに飛ばし屋として有名で「ドライバーショットは隣のホールに飛んでいき、そこから大きく曲がって元のホールに戻ってくるんだ」と、興奮気味に話してくれたのはデーリーと同じハイスクールだったというアメリカ海軍空母ミッドウェイの整備兵。

デーリーは4歳からゴルフを始めたが、プロ入りは87年。転機は91年に訪れた。その年の全米プロは、インディアナ州のクルックドスティックGC。デーリーの出場権はウェイティング9番目。メジャーでの出場キャンセルはほとんど考えられないが、大会前日になってニック・プライスが妻の出産に立ち会うため急遽欠場を表明。大会側はウェイティングの上位から連絡を取るが、時間的に間に合う選手がおらず、9番目のデーリーにチャンスが降りてきた。車をひと晩中飛ばし、コースに着いたのは初日の朝で、1球もボールを打たずにスタートしていった。だが驚異の飛距離でツアー初勝利をメジャー競技で飾り、多くの人を驚かせた。彼の人生はゴルフと同じように波瀾万丈だといえよう。

文・構成/ジョー(特別編集委員)
年齢不詳でいまだに現役記者。ゴルフダイジェスト入社後、シンガポール、マレーシアをはじめ、フランス、モロッコ、英国、スイス、スウェーデン、イタリア、アメリカ、カナダ、メキシコ、中国、台湾、アラブ首長国連邦、オーストラリア、ニューカレドニア、タイ、インドネシアなどでコース、トーナメントを取材。日本ゴルフコース設計者協会

週刊ゴルフダイジェスト2022年5月3日号より