【陳さんとまわろう!】Vol.224「石井さんと一緒に行ったマスターズ。思い出深いねぇ」
日本ゴルフ界のレジェンド、陳清波さんが自身のゴルフ観を語る当連載。今回は、1月に逝去した大先輩・石井朝夫さんとマスターズに出場したときの思い出を語った。
TEXT/Ken Tsukada ILLUST/Takashi Matsumoto PHOTO/Tadashi Anezaki THANKS/河口湖CC、久我山ゴルフ
オーガスタでのB・ホーガン
これがなんとも……
――石井朝夫(ともお)さんが1月に亡くなられましたね。98歳でした。陳さんより8歳年上。
陳さん そうだねえ。私の大先輩ですよ。昔の日本の先輩プロはみんな怖くてね。それに技術がずっと上ですから、気軽に話すことはできませんでしたよ。
ただ、あれは1964年だったと思いますがね、私がマスターズに2度目の招待を受けたときに、石井さんが初めて招待されて、一緒にオーガスタまで行ったことがあるんだ。
そのときに、いろいろ面白いことがありましたよ。朝、2人で練習場に行ったら、選手がみなボールの落下場所にキャディを立たせながら練習しているわけね。というのは、自分のボールを使って打っているから。それを見て石井さんが「おれ、打つのやめるよ」って言って、帰っちゃったの(笑)。だって、ボールを曲げてキャディに当てたら大変だからね。怖くて打てないって言うんだねえ。腕達者の石井さんがよ。
――ベン・ホーガンとの出会いにも面白いエピソードがありましたね。
陳さん そうそう。石井さんと2人でクラブハウスのレストランで食事をしていたときのことね。
私たちが窓際のテーブルにいて、ホーガンが何人かの人と一緒に別テーブルにいたんだ。たぶん、私たちがホーガンが気になってチラチラ見ていたと思うんだね。それに気が付いた1人のカメラマンが私たちのところに来て「ホーガンと一緒に写真を撮ってあげようか」って言ってくれたんだねえ。
だから石井さんも私も喜んじゃってさ、ぜひお願いしたいって言ったら、カメラマンがホーガンに「東洋から来たあそこの2人の選手と写真を撮らせてくれないか」って伝えたらしいんだ。ところがホーガンの返事は「ノー」だよ。いや、「ノー」とは言わないで「いまは写真を撮りたくない」って言ったというわけ。さすが世界のトッププロは上手な断り方をするなと思いましたがね。
ところが石井さんが、断られたことに腹を立てるわけよ。というのは石井さんが使っていたクラブがベン・ホーガンだったから。「それなのにホーガンは冷たい」って。(笑)
――それを伝えていれば、もしかしたら、だったかもしれませんね。
陳さん そうだねえ。惜しいことをしたねえ。
――石井さんはどのようなゴルフスタイルの人でしたか。
陳さん 石井さんは宮本留吉さん(日本オープン6回、日本プロ4回優勝ほか。米国遠征の先駆け。85年83歳で没)と同じプッシュショットで有名でしたよ。これはパンチショットと同じと思っていいですがね、これを打つためには右手を利かせるのがポイントなんだね。石井さんは、右が利き腕なら右手を使ってボールを打てというわけ。利き腕を殺して行うスポーツはないし、利き腕を使うからボールに力が加えられてボールも飛ぶってね。
――右手を使うのは陳さんも同じ。
陳さん はい。インパクトでは左手の意識は全然ありません。右手で打つのは戸田藤一郎さん(1939年に年間グランドスラム達成。84年69歳で没)もそうだったでしょ。
――2014年に陳さんは石井さんと一緒に日本プロゴルフ殿堂入りしましたが、そのとき石井さんとは?
陳さん いえ、会っていないの。顕彰式には代理の人が出席しましたからね。楽しみにしていたのに残念でした。
陳清波
ちん・せいは。1931年生まれ。台湾出身。マスターズ6回連続出場など60年代に世界で日本で大活躍。「陳清波のモダンゴルフ」で多くのファンを生み出し、日本のゴルフ界をリードしてきた
月刊ゴルフダイジェスト2022年5月号より