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村口史子、松澤知加子、平瀬真由美。元祖“つよカワ”女子に聞く、プロゴルフの今と昔

世界レベルで活躍する日本の女子プロたち。人気も抜群だ。今の日本のゴルフ界の状況を、先達たちはどのように考えているのか。元祖「つよカワ」女子プロ、村口史子、松澤知加子、平瀬真由美の3人に思う存分語ってもらった。

TEXT/Masaaki Furuya PHOTO/Tsukasa Kobayashi、Hiroyuki Okazawa

村口史子

むらぐち・ふみこ(MURARO)。1966年生まれ、東京出身。会社員を経て18歳でゴルフを始め90年プロ入り、ツアー7勝、99年の賞金女王。現在はツアーの解説などでも活躍中。空手家のご主人の影響で空手を習う

松澤知加子

まつざわ・ちかこ(ホリプロ)。1968年生まれ、神奈川出身。15歳でゴルフを始め89年プロ入り。ツアー1勝。「元祖アイドルプロ」として活躍。現在は植竹希望などプロからアマチュアまで幅広い世代を教える

平瀬真由美

ひらせ・まゆみ(ダイキン工業)。1969年生まれ、熊本出身。11歳でゴルフを始め88年プロ入り、ツアー18勝、米ツアー1勝。93年、94年の賞金女王。現在はツアーの解説などでも活躍中。4人の子の母親でもある

――ゴルフを始めたきっかけを教えてください。

平瀬 小学校6年生のとき、父と一緒に行ったミニコースでクラブを初めて振ったんです。力もあったのか振り負けなかったから、以後毎日100球打つ感じになりました。師匠は鍋島(直要)さん。でも試合会場に来てもらったことは一度もなくて、電話か、月に一度、休みの週に練習場やコースで見てもらっていました。

村口 鍋島さんの教えってどんなふうだったの。

平瀬 「勘違い」をよく正してもらいました。たとえば、難しいホールや状況で上手くいかなかったことを話すと、「今のお前の実力で、何でそんなふうに思うんだ」ということを言われ、あ、そうなんだと気づく。次の日のラウンドは、謙虚な気持ちで向き合うと上手くいくことはよくありました。

松澤 今でいうメンタルコーチ的な存在だ。

平瀬 そうだね。後にアメリカに行ったとき、選手友だちに「自分のなかでやろうと思わないことはできない」と強く言われましたけど、私は「やろう」という強い気持ちより「だいたいでいいんだよ」という気持ちで取り組んだほうがよいスコアで回れることが多かったですね。

松澤 鍋島さんは、真由美ちゃんの性格をよく知っていたんだね。私の場合は、中村寅吉先生が父と知り合いで、14歳のときに練習場に行ったら、いきなり「打ってみろ」って言われ、それがけっこう当たったんですよ。すると「中村寅吉先生に見初められた」という話が広がっちゃって。私はバスケットボールで高校に進むはずだったのにゴルフをやらなければいけなくなって、人生が変わった感じ。

平瀬 ゴルフの歴史上の人物は、どんなことを教えてくれたの?

松澤 たとえば、パター練習は、ゴルフ場で夜の月明かりの下でやる。ラインなんてよく見えないから感覚で打つんだけど、カップに入る音を頼りに距離感みたいなのを身につけるわけ。ショットは夜に道路で練習するんだけど、坂道って4つの傾斜がつくれるから、そこでアイアンを素振りして火花を散らして感覚を養ったり……。

村口 嘘でしょう(笑)。

松澤 あとは、裸足で打つ。

平瀬 練習場で?

松澤 いや、コースで。傾斜を足裏で覚えるために。でも靴下は履いていたよ。履いていないとさすがに芝生が痛いから。私の教わったことを今の子たちにやったら多分、訴えられるかもしれない(笑)。

村口 私は高校卒業後、商事会社に勤めていましたが、そのときにゴルフをすすめられて始めました。最初は、なぜだか1人で練習場に行ったんですよね。

平瀬 ボールに当たった?

村口 最初は空振り(笑)。でも、練習場にプロを目指している5歳くらい上の女性がいて、こんなに遅くから目指す人もいるんだと。それで、3カ月間悩み抜いて、会社に「プロゴルファーを目指すので辞めさせてください」と言った。そして練習場でレッスンを受けていた郡司洋プロがヘッドプロだった千葉カントリークラブに入れてもらえたんです。

平瀬 入ったときは、いくつくらいで回っていたの。

村口 いや、まだラウンドしたことはなかったのよ。

平瀬 それもすごい。もし今そんな人がいたら、「いやちょっと(進路は)考えたほうがいいですよ」って言うと思う(笑)。

村口 郡司さんに教わったことで、一番印象に残っているのはパッティング。とにかく「パターはショートするな」しか言われなかった。

平瀬 村口さんのあのパッティングの上手さは、そこがスタートだったんだ。

村口 パットはオーバーしなければいけないというのは、洗脳されたようなもの。でもそういうのって最初が大事だと思いますよね。

プロゴルファーがアスリートになってきた


――皆さんがプロ入りした頃はジャンボ尾崎の全盛期で、女子ツアーは今のような華やかさはありませんでしたが、デビュー当時の雰囲気はどうでしたか?

村口 先輩は少し怖かったかもしれません。最初はレストランに入れませんでしたから。

松澤 練習グリーンでパットを打っているときに大城あかねさんに、「2階に上がって大丈夫ですかね」と聞いちゃったもん。中村寅吉門下だったので、プロはクラブハウスに上がれないという意識はまだありましたから。

村口 勇気をもってレストランに上がったときに、先輩が生ビール飲んでいるのを見て、思わず階段を引き返しました(笑)。

松澤 飲んでいる人、いたよね。あの頃は、アスリートという感じではなかった。普段からトレーニングをしている人もいなかった。

村口 ただ走るだけだった。

平瀬 お風呂場などでストレッチくらいはやっていました。

松澤 女子ツアーで日常的にトレーニングするプロが出てきたのは多分、この3人の年代くらいからだと思います。塩谷(育代)さんが東海大の田中(誠一)先生に習い始めたのも、そのあたりです。

村口 でもゴルフ専門のトレーナーは、まだいなかったよね。

松澤 私のトレーナーも陸上競技の方でした。日本エアロビックセンターに入り浸って、小達(敏昭)くんたちと一緒にウェートトレーニングをガシガシやっていました。

平瀬 でもあまり筋肉をつけすぎるとスウィングによくない影響も出るということで、私はストレッチのほうがメインでした。最近はウェート系で成果を挙げている女子プロもいます。勝(みなみ)さんなんかそう。去年ビックリしたのは稲見(萌寧)さん。キックボクシングなどを取り入れたりしてすごく体が大きくなっていた。勝さんも試行錯誤しながら、ウェートではなく、ストレッチだけの日も入れているみたいです。

――今の若い女子プロのゴルフを見ていて面白いと思うのはどういうところですか。

平瀬 ピンポイントで皆、狙ってきますよね。私たちの時代はヤーデージブックもそんなになかったし、キッチリした距離が数字で出たわけではないので、だいたいの目測で打つしかなかったけど、今は明確にデータが出る。だから皆、ピンポイントで狙っていく、それは本当に変わりました。

松澤 でも若い女子プロと合宿なんかにも行きますけど、何となく淡白ですよね。攻め方も……。曲がらないからそう思うのかな。

村口 キャディさんに頼りすぎる人が多いように見えます。自分の決断力を持つと、さらによくなるんじゃないかと思います。

平瀬 女子は若いし経験も少ないから、キャディさんが教えることが増えるんでしょうね。それにしても若い女子プロは、私たちの頃より飛距離が40ヤードは伸びていますね。道具の進化や筋トレなどが理由でしょう。

松澤 手足が伸びたのも要因にあるのでは? 今の子たちは痩せていても飛ぶ。体型が変わってきたというのもあるかも。

平瀬 でも、たとえば賞金女王の稲見さんは曲がらないし、プレッシャーがかかったときに同じスウィングができるので強いと思います。試合では飛ばすだけではなく、スコアを作らないといけない。また、昨年はパッティングがよく入りました。もともとショットメーカーではありましたから、そこが噛み合うと強い。

村口 どんな状況でも同じスウィングができるのはすごいよね。

平瀬 スウィングは皆、綺麗です。そして皆、似ています。

松澤 オートマチックです。雑誌やテレビだけでなく、知識を得るツールが増えているのは大きいですよ。

“オーラ”はつくっていけるもの

――全盛期、「可愛い」と言われるのと「強い」と言われるのは、どちらが嬉しかったですか?

3人 「強い」ですね!

村口 若い頃は「強い」です。だって稼がないといけないから。

平瀬 もちろん、人間ですから、「可愛い」と言われることにも、悪い気はしないですけれど。

松澤 自分ではアスリートだって思っていても、可愛い感じでいかなければいけないという雰囲気になるんです。でも、可愛いなんて言われるのも25歳までだとわかっていたから(笑)。

村口 私もそれは冷静に思っていましたね。人気が出ても、今だけだなって。

松澤 来年の女子ツアーは、38試合ですか。やっぱり人気ですね。

平瀬 試合数を考えると、私たちの頃でも30はありました。バブルの終わりくらいでしたから。

村口 でも賞金は安かったです。私、初優勝は4日間競技でしたが、900万円でしたから。3日間競技は720万円だった。

松澤 今の女子プロはプロアマでの対応もしっかりしているけど、私たちも気は使っていました。

村口 私は愛想がなかったかもしれない(笑)。若い子が50代~70代の人にゴルフを教えるなんて、と。とくに私は研修生上がりでレッスンの経験もなかったから。

松澤 私も自分が教わったのが「裸足になれ!」だから(笑)、教え方はわからなかった。今だったら、いろいろ理論もあるので、先生にやらされたことを言葉にすると、こういうことだったんだってわかりますが。

平瀬 今はそういうことは新人研修でやっているのかしら。

村口 やっていると思うよ。

――男子ツアーはどうしたら人気が出ると思いますか?

村口 今の女子はプレーでも魅せるけれど、ファッションでも見られていることを意識しているので華やかに見えるから、男子がおとなしく見えてしまうのかもしれません。

松澤 男子はあんなにゴルフが上手くて、スピンもかけられて、でもオーラが……。オーラってつくることができるものかもしれません。星野(陸也)くんと加瀬(秀樹)さんが同じウェアを着なくてもいいと思います(笑)。

平瀬 今の女子プロにオーラ的なものがあるとしたら、それはギャラリーに見られているという意識がしっかりあるからでしょうね。

村口 それに若いプロたちは自分のことをカメラで見せる術を知っていますよね。

松澤 世の中の女の子たち皆がそう。インスタなんかを見ても、モデルさんみたいだし、アピール力が半端ない。私たちの頃にクレージュなどアパレル系のウェアがたくさん出てきたんですよ。私はオジサンと同じウェアになるのが嫌で、パーリーゲイツに電話して、自分から「着たいんです」って売り込んだの。

村口 さすが。(宮里)藍ちゃんたちの頃になるとシャツの裾を外に出しても何も言われなかったけど、私たちのときはシャツの裾を中に入れないといけなかったり、サングラスをかけたり日傘を差して歩くのも許されなかったんですよ。「気持ちがゆるんでいる」と言われて。研修生の頃なんか、日焼け止めを塗ったら「そんな色気づいていたらゴルフなんかできない」って。そう言っていた周りのオジサンたちが、「今の若い子たちはファッションが可愛くてイイよね」って言いますから(笑)。

松澤 オジサンがおじいさんになったからかもしれないです(笑)

個々も、協会もセカンドキャリアの意識を

――現役を引退される頃、セカンドキャリアは考えていましたか。

村口 私は、何も決めていなかったので、辞めた後の1年間は何もしていませんでした。そして1年後にハワイの試合でリポーターの仕事をしました。

平瀬 辞めるというのは、QTに行かないと決めたということ?

村口 いや、シードは取れたんだけど、シーズンが始まるときに腰痛などもあり、気持ち的にもう無理だと思っていたので、今年で辞めると決めていたんです。ひっそりと辞めたかったので記者発表もしませんでした。でもファイナルQTのときに、私が抜けたことで中野晶さんが繰り上がってシード入りをする話から、私の引退話がバーッと広まっちゃって。

平瀬 シードに入っているのに辞めたとは! こんなに潔い人はなかなかいないです。こういう割り切りっていうのは、ゴルフではすごく大切なことだと思うんですよ。だから村口さんはパットが入るんだと思う。

村口 そんなことない。ダメだと思うと「はい終わり」となってしまうから、そこが私のダメなところ。だから今も、次に何かをやりたいんですけど、ゴルフ以外に全然見つからなくて。もちろん、解説の仕事は楽しいです。楽しくて難しい……。選手や視聴者の邪魔にならないようにと思っています。

平瀬 わかります。私は、テレビは幅広い層の方が見ている、ということを意識しながら解説するようにしています。

松澤 私は今、幼稚園児から大学生までにゴルフを教えています。また、偶然ゴルフ番組で訪ねたコースの練習場にいた子どもたちに教えることになって、そのなかの一人が今や国体選手になりました。

村口 すごいね、どう教えたの?

松澤 教えたからではなくて本人が頑張った。ゴルフが本当に好きなんですよ。そういう気持ちって大事で、取り組み方が変わる。

平瀬 私は今、日本サッカー協会の「夢の教室」(ユメセン〔夢先生〕~JFAこころのプロジェクト)というプログラムの講師を年に何回かやっています。派遣で行く学校の教室で、自分が困難を乗り越えてどうやって夢に挑戦したかなどの体験を話すプログラムです。授業の後、ユメセンシートで生徒一人一人からメッセージが書いて送られてきます。そしてその一枚一枚に返事を書いて送る。この2年はオンラインの授業でしたが、また学校に行けるようになったらいいですね。

村口 今、塩谷さんが、女子プロのセカンドキャリアを考えるために、リモートで勉強会をやっていますよね。

平瀬 それは大切なことだと思いますよね。今考えると、あのときにもっと違う選択をしていれば、と思うような人を経験上見ているので。女子プロの数が増えたぶん、今後はそういったセカンドキャリアの問題は大きいと思う。

松澤 野球選手を企業が社員にする話を聞きました。女子プロも、会社に入って仕事として毎週ゴルフをしてもいいかもしれない。

村口 そうだよね。でも若くないとダメなのかな。

平瀬 私たちが入ったら、すぐに定年だよ(笑)。

村口 起業するしかないかな。私、宅建も取ったんです。何の活用もできていませんが。兄が持っていたし、不動産、間取りなどを見るのが好きだったので。

平瀬 私も間取りを見るのは好きだけど、宅建を取ろうと思ったことはなかった(笑)。そういえば、ネイリストをやっている選手もけっこういるよね。

村口 でも私たちは無理、目が見えづらくなっているから(笑)。

松澤 細かいものが見えない。

平瀬 でも、プロゴルファーの後の人生のほうが長いわけだから。個々もだけど、協会自体もプロの次のステップみたいなことを考えていかないといけないですよね。

村口 レジェンズツアーも楽しいけれど、飛距離が出なくなったから勝負にならない。年齢だけではないんです。飛ぶ方はすごい。努力もあるのでしょうね。

平瀬 昨年の太陽生命でエージシュートした岡田美智子さん(76歳で74)なんか、すごいですよね。

松澤 本気の女子シニアとエンジョイシニアで試合を分けて開催するのもいいかもしれない。

村口 参加資格も35歳くらいからにしてもいいかも。アマチュアの女子ミッドアマがそうですよね。でも、プロだけど試合に出られなくてプロアマで生計を立てている、けっこう中途半端な状態の子っていますよね。

平瀬 自分がプロになっても試合に出られていなかったらどうする? それが20代前半だったら。

松澤 辞めて、違うことをすると思う。

村口 辞めるか、それをベースにして何かをするか。

平瀬 競技委員が案外いいのではないかと思ったり……。実際、先日まで募集していたし。かなり勉強は必要だけれど。

松澤 競技委員はムリだな。そんな厳しい人にはなれない。

村口 選手に呼ばれても(体力的に)走っていけないよね。

松澤 それは今でしょう(笑)。でも、若い選手に「全然試合に出られなくて大変なプロはいる?」と聞いたら、QTのセカンドで落ちた人以外は大丈夫と。けっこう、仕事はあるのよ。プロアマ戦など……私たちにもお声がけください。

村口 悪い顔しないで(笑)。確かに、今の若い選手はプロアマで自分をアピールできるのかもしれないね。スポンサーになってくださいと、自分からいける。

松澤 私たちの時代はあまりできなかった。そもそも、女子プロイコール怖い、というイメージが強かったかもしれないし。

平瀬 そんなこと言って(笑)。最後に一応、今後の夢を話しましょうか。私は、自分の子どもを立派な社会人にすることです。

松澤 素敵だね。私は、いつでも楽しく生きていくこと。

平瀬 今までそうやって生きてきたじゃない(笑)。

松澤 島根県の子どもたちから国体の強化コーチになってほしいといわれたので、コーチになるの。それで楽しんでくるから。

村口 私は目標を探し中です。今年は何か見つかるといいですね。

3人 これからも、元気に楽しく、ゴルフと歩んでいきましょうね。

週刊ゴルフダイジェスト2022年1月25日号より