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【イ・ボミのスマイル日和】Vol.14 “チームボミ”に欠かせなかったトレーナーの存在

2年連続賞金女王など輝かしい実績を残し、2023年に惜しまれつつも日本ツアーを引退したイ・ボミ。これまであまり語られてこなかった生い立ちや現役時代の秘話など、あらいざらい語り尽くす!

TEXT/Kim Myung Wook PHOTO/Takanori Miki

イ・ボミ 1988年生まれ。15、16年賞金女王。日本ツアー21勝のレジェンド

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筋肉ムキムキじゃないところがよかった(笑)

今でもふと、「どうしてるかな?」と思い出す人がいます。私が”あるちゃん”と呼んでいた専属トレーナーだった、渡邊吾児也(あるや)さんです。2年連続で賞金女王を獲った頃、ずっと私のコンディションを整えてくれていた大切な存在でした。今は神谷そら選手の専属トレーナーで、そらちゃんが2025年シーズン、メルセデス・ランキング2位という素晴らしい成績を残せたのを見ると、「あるちゃんの支えがちゃんと届いているな」と感じます。

あるちゃんが私に帯同してくれるようになったのは、清水(重憲)さんがキャディを始めてから2年後くらいだったと思います。もちろんその前から会場で顔を合わせていたし、男子ツアーや宮里美香選手の米ツアーにも帯同していたことは知っていました。もともとはJリーグのユースでプレーしていて、プロサッカー選手を目指していたそうです。でもケガの影響でその道を続けることが難しくなったと聞きました。


その頃、私には韓国にもトレーナーがいました。でも、日韓を頻繁に行き来するのが難しくなってしまって……。そんなとき母が、「日本でトレーナーを探したほうがいいんじゃない?」と提案してくれて、清水さんの紹介であるちゃんに出会ったというわけです。第一印象は、背が高くてイケメン(笑)? でも本当に、第一印象って大切で、筋肉ムキムキというより”しなやか”なタイプだったのも好印象でした。私はゴリゴリのトレーニングより、体の感覚を重視するタイプなので、「あ、この人とは合いそう」と直感で思いました(笑)。

それからのあるちゃんは、私に合わせて細かくトレーニングメニューを作ってくれました。韓国ではウェイトやピラティスが中心でしたが、あるちゃんは”バランス運動”をたくさん取り入れていました。器具を使わないトレーニングが新鮮で、ショットの感覚がどんどん良くなっていったのを覚えています。日曜日に試合が終わって、翌日の月曜日はよくリカバリーの日にしていました。ストレッチが中心でしたが、少し走る日もあって。当時は賞金女王という大きな目標があったので、とにかく必死でしたし、あるちゃんはその頑張りをずっと支えてくれていました。

私は体の細かい変化に敏感で、神経質なところもあるのですが、あるちゃんはそういう部分もちゃんと理解して、繊細に調整してくれていました。ただ、今になって「申し訳なかったな」と思うことがあります。

2017年頃、成績が下り坂になっていった時です。本当はもっと話し合うべきだったし、あるちゃんのアドバイスを信じてコンディション作りにしっかり向き合うべきだったのですが……当時はどうしても「練習しないと!」という気持ちが強くて、ショット練習ばかりやってしまったんです。あるちゃんもそれを察して、練習に付き合ってくれたり、キャディまでやってくれたり。静かに寄り添ってくれた姿には感謝しています。

忘れられないのが2015年のニトリレディスです。寝違えて首を痛めてしまって、欠場も考えていたくらいでした。あるちゃんは鍼灸師の資格を持っていて、「一度、針をやってみよう」と提案してくれたんです。針は怖かったのですが(笑)、もうどうにもならない状況だったので思い切ってお願いしたら、翌日には痛みがスッと軽くなったんです! これには本当に驚きました。置き針をしたままプレーしたのですが、日に日に調子が上がっていって、最終日は何も気にせず振れるようになり、首位を一度も譲らず完全優勝。あの奇跡のような復調は、間違いなくあるちゃんのサポートのおかげでした。

今、そらちゃんと一緒に頑張っている姿を見ると本当に嬉しいですし、なんだか誇らしい気持ちになります。これからもそっと応援しています。

冬はイベントがたくさんです!

「今の季節はプロアマなどイベントがたくさんあります。私も現役の選手たちと一緒に参加させてもらっています! 楽しい!」

月刊ゴルフダイジェスト2025年2月号より