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【人気連載アーカイブ】イザワの法則2015「英語はほとんとしゃべれなかったけどストレスはなかった」

世界も認めた美スウィンガー・伊澤利光が、ゴルフで大切にしていることを語る連載「イザワの法則」。今回は、前回に引き続き伊澤がプロテスト合格してまもなくアメリカに渡ったときに、経験し感じたことを話してくれた。

前回のお話はこちら

当時はアプローチのバリエーションが少なかった

GD 英語を覚えることに力を注がない決断というのは、ゴルフに全精力を傾けるという意味では、英断だと思います。ただ、結局そこから4年もアメリカ生活が続いたわけで、その間、「話さない」を貫くのも、けっこう大変だったのではないですか?

伊澤 アメリカ生活も最後のほうになると、ツアーで顔なじみになった連中に、「なんだ、トシはまだ英語しゃべれないのか」って、からかわれたりしましたけどね。「ああ、しゃべれないよ。それがどうした」って感じでしたね。ただ、自分では話せるようになりませんでしたけど、向こうが何を言っているかは、ほとんどわかるようになっていたので、それほどストレスはなかったですね。

GD その経験がのちの米ツアーやメジャーに挑戦するときに役立ったのでしょうか。

伊澤 住んだことのある国に行くわけですし、言葉も一応、聞くことはできるということで、参戦することに不安とか、物おじはなかったですね。それは良かったと思います。

GD だから、スポット参戦でも、上位の成績を残せたと。

伊澤 そういう面もあると思います。そういえば、米ツアーの「ニッサンオープン」に出たとき(01年、2位タイに入賞)、3日目終了時点で上位につけていたので、PGAツアーの役員みたいな人が、私のキャディに「この試合で10位以内に入ると、来週の試合も出られるけど、トシはどうするか聞いてくれ」って言っているのが聞こえたんですね。で、キャディが私に伝えようとしたんですが、聞こえてたので「Noって言って」と即答したんです。そしたらキャディは「あ、わかってました?」って感じで驚いていて、そのPGAツアーの人は、「出られるのに出ないの?」ってそっちに驚いてましたね(笑)。

GD 何というか、そのおおらかな感じが、実は米ツアーに合っているような気もしてきました。ところで、ミニツアーを転戦しているときに、技術的に身についたものというと、どういったことでしょうか。

伊澤 その頃は、プロになりたてで、技術的には未熟だったので、コースとか芝とかに対応するので精一杯という面はありましたね。特に、アプローチは、当時はほとんどバリエーションがなくて、基本的にピッチエンドランで全部まかなうという感じでした。そうなると、寄ったかどうかがすべてで、それ以上、どうにかしようというところまではいかなかった。本当は、そこからシチュエーションに応じて、どう打ち方を変化させていくか、どういう練習をすればどういう結果になるか、考えることが大事なんですが……。その頃、それがわかっていれば、もっと違ってたんでしょうね。

伊澤’s ワンポイント
キャリーを具体的にイメージする

キャリーさせる場所を具体的にイメージするほど、体が勝手にスウィングを調節してくれる。例えば「30ヤード」なら、「25メートルプール越え」と考えれば、自然とフォローが大きくなるはず。

伊澤利光

1968年生まれ。神奈川県出身。学生時代から頭角を現し、プロ入りしてからは、プロも憧れる美しいスウィングの持ち主として活躍。2001年、2003年と2度の賞金王に輝く。また、2001年、マスターズで日本人最高位(当時)の4位入賞。現在はシニアツアーを中心に活躍中

月刊ゴルフダイジェスト2015年9月号より