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【ゴルフせんとや生まれけむ】つまみ枝豆<後編>「思い出深い義父とのラストラウンド」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続きタレントのつまみ枝豆氏。

前回のお話はこちら

28歳で始めたゴルフを一番熱心にやっていたのは30代前半から40歳くらいまでですかね。今では口にするのも恥ずかしいですけど、ベストスコアの74が出たのもこの頃です。当時は90を超えると「うわあ、叩いたな」と悔しがっていました。今は普通に100を叩きますけどね(笑)。

でも、40代のときイップスになっちゃったんですよ。アイアンが突然打てなくなり、2年くらいゴルフをやめました。やめたといってもプロアマとかチャリティコンペのお誘いはありますから、参加しなければならないコンペだけ出て、それ以外のときは知り合いのプロに相談し、練習場で小さな振り幅からスウィングを作り直していました。小さな振り幅で打てるようになったら、振り幅を少しずつ大きくして、2年かけてイップスを治しました。


ところが今度は60代になってからドライバーイップスが発症しました。今もイップスの真っ最中です。前回のイップスはコースでも練習場でもアイアンが打てなかったのですが、今回のイップスは練習場では普通に打てるんですよ。

でも、コースに行くとひじがあり得ないほど高く上がっちゃうんです。練習場と同じ高さで止めようとしても止まりません。ひじを止めることばかり気にして、ヘッドがボールのところに戻って来ないから、常に100くらい叩いています。「これ、いつ治るんだろう?」という感じですね。

だから今も参加しなければならないコンペだけ出て、それ以外は妻(タレントの江口ともみさん)と2サムで気楽に回っています。妻をゴルフに誘ったのはボクで、イップスになる前はボクが教えていたのですが、最近はスコアで負けることもあります。でも、夫婦でスコアを競い合っているわけではありませんし、一緒に楽しめる趣味があるのはいいことですよね。 

妻のお義父さんもゴルフが大好きで、よく一緒に行きました。ボクの本名は青木隆彦というんですけど、「隆彦君、明日ゴルフに行くんだけど、空いている?」「わかりました。空けます」と、お義父さんの家まで車で迎えに行っていました。 

お義父さんは2009年に85歳で亡くなったのですが、人生最後のゴルフもボクが一緒でした。そのとき妻はいなくて、お義父さんとお友達2人とボクの4人というメンバーでした。お義父さんのお友達ががんを患い、「人生最後のゴルフになるかもしれないから江口君付き合って」というラウンドに同行しました。

葉山国際カンツリー倶楽部(神奈川県)という山の上のゴルフ場に行ったのですが、ホント大変でしたよ。3人ともクラブを持って歩けないし、1人はゴルフシューズの底がはがれてパカンパカンになっているし、全員のクラブを抱えて坂道をよじ登りました。その直後にお義父さんの肺がんが見つかり、お友達よりも先に亡くなってしまいました。お義父さんとの関係は親子というよりも上司と部下みたいな感じでしたが、妻との結婚に大反対だったお義母さんを説得してくれた恩人ですから、少しは恩返しができたかなと思います。

つまみ枝豆

1958年生まれ、静岡県出身。地元の先輩ガダルカナル・タカの誘いで芸能界に入り、ビートたけしの弟子によって構成された「たけし軍団」に参加。96年にタレントの江口ともみと結婚。現在はオフィス北野から商号変更した芸能事務所「TAP」の代表取締役を務める

週刊ゴルフダイジェスト2025年1月28日号より