【ゴルフせんとや生まれけむ】つまみ枝豆<前編>「左用クラブは松方弘樹さんから」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、タレントのつまみ枝豆氏。
ボクがゴルフを始めたのは1986年(昭和61年)12月9日のフライデー襲撃事件がきっかけです(笑)。(ビート)たけしさんと軍団メンバーの12人が写真週刊誌フライデーを発行している講談社に突っ込んだんですね。ボクはいなかったですよ。ボクとラッシャー(板前)と(井手)らっきょは参加していませんから、たけしさんたちが謹慎している間、留守番チームで番組を回していました。
たけしさんは謹慎中、民宿みたいなところに潜んでいたんですけど、その近くにゴルフ場があったんです。「やることがないからゴルフでもやるか」とたけしさんが言い出したので、ボクたち軍団メンバーもゴルフを始めました。正直なところ、最初はあまり乗り気ではありませんでした。あのころのゴルフってウェアもギラギラしていましたし、20代の選手がジジイに負けるわけですから、「そんなスポーツはねえだろう」「ゴルフはゲームだろう」となめていた部分がありました。
でも実際に始めてみると、まったく上手くいかないじゃないですか。ボールに当たらないし、当たっても曲がるし、ボクは野球をやっていたからドスライスばっかり出るんですよ。「イヤだなあ」と思いながらも、たけしさんに「行くか」と言われたら「行きましょう」となるわけです。たけしさんは一日中ヒマですから、1.5ラウンドするのが普通で、2ラウンドすることもありました。1.5ラウンドが終わったとき、たけしさんがいないのでマスター室に「たけしさん、どうしました?」と聞くと、「あっ、行かれましたよ」というので、慌てて追いかけて行ったこともありました。
当時はプレー代がかなり高かったのに、軍団メンバー2~3組分の料金をたけしさんが全部払っていたわけですから、すごいですよね。そんな感じでイヤイヤ始めたゴルフでしたが、ドライバーが「バーン!」と当たったり、パーを取ったりすると、だんだん面白くなってくるじゃないですか。「これはいい遊びを教えてもらったな」と、自分でお金を出してゴルフ場に行くようになりました。仕事が午後からの日は朝4時に戸田(埼玉県)の河川敷コースに行ったり、仕事が早く終わるとナイターゴルフに行ったりもしていましたね。
ちなみにボクは左利きで、今は左打ちでプレーしていますが、最初の1年くらいは右打ちでプレーしていました。ゴルフを始めたとき、たけしさんが「岡本綾子も左利きだぞ」と言ったんですよ。左利きでも右でやったほうが有利じゃないかと。でも実際にやってみると、右打ちだと思い切り振れないんですよ。ドライバーの飛距離が他のメンバーに置いていかれるようになったので、左でもう一回やり直そうと左用の安いクラブを購入しました。そうしたら、あるチャリティコンペにたけしさんのお守り役で参加したとき、同じく参加者の松方弘樹さんが左打ちだということに気付いたんですよ。「松方さん、クラブください!」とお願いしたら、快く譲ってくださって、松方さんのお下がりのクラブをずっと使っていました。
>>後編につづく
つまみ 枝豆
1958年生まれ、静岡県出身。地元の先輩ガダルカナル・タカの誘いで芸能界に入り、ビートたけしの弟子によって構成された「たけし軍団」に参加。96年にタレントの江口ともみと結
婚。現在はオフィス北野から商号変更した芸能事務所「TAP」の代表取締役を務める
週刊ゴルフダイジェスト2025年1月21日号より