【競技ゴルファー・タニシゲ】Vol.2 調子が悪いなりの乗り切り方がある
元プロ野球選手・谷繁元信が日本ミッドアマ出場を目指し、青木翔コーチのもと研鑽を積む本企画。今回は、自身の“ピーク”をどこに持っていくか、調子が悪い時はどうするか、プロアスリートならずとも気になる話。
PHOTO/Hiroaki Arihara THANKS/六甲国際GC
“調子の悪いときの自分”を
把握しておくこと
青木 プロ野球はキャンプからオープン戦に移る時期ですけど、シーズンは何試合あるんですか?
谷繁 今は143試合ですね。かつては130とか135試合とかの時代もありました。
青木 いわゆる、ピークってどこにもっていくんでしょうか。すべての試合にピークをというのは難しくないですか。プロゴルフの試合でもそうで、女子の場合、今年は37試合もあります。
谷繁 すべての試合にピークを持っていければ最高ですが、そういうわけにはいかない。僕の場合は、まずは開幕にピークを持って行くべく、オフ、自主トレ、キャンプと逆算して準備していました。ただ、1年通じてプレーすると、どうしても自分の苦手な時期が出てくるんです。選手によって違うんですが、僕の場合は梅雨時が全然ダメ。でも、その時期がダメだってわかってくると、その対応法もわかってきて。調子が悪いなら悪いなりにそれなりの乗り切り方を見つけることができるようになるんです。ただ、これはレギュラーとしてずっと試合に出ていてからこそわかるもの。
青木 自分の調子や体調を客観的に見られるようになってからですね。それは確かに年間通じて試合に出ていないとつかめないでしょうね。谷繁さんがレギュラーに定着したのはいつ頃ですか?
谷繁 意外と遅くて、プロでやっていける自信がついたのは、高卒でプロ入りして8年目の1996年です。横浜のバッテリーコーチだった大矢明彦さんが監督になった1996年に127試合に出場し、打率が3割に乗りました。甲子園のマウンドで佐々木主浩さんと大ジャンプをしてリーグ優勝を喜んだのが1998年です。
青木 ドライチでしたし、高校を卒業してすぐレギュラーを取ったイメージがありました。
谷繁 いえいえ、高卒4年目辺りでもう「クビになるんではないか」という恐怖があったくらいです。そんななかでも、僕は176センチとプロ野球選手では小さいほうですから、ほかの大きな選手と同じ練習量、質では勝てないと工夫を凝らしていました。試合では、4月、5月は自主トレ、キャンプの貯金で乗り切れますが、梅雨時はどうしてもへばってしまうんですね。そこで、うまく力を抜きつつ、夏場から後半を想定してランニングやバットを振る時間を増やすなど練習メニューをマイナーチェンジしていました。そういう中期スパンで自分のピークを考えつつ、短いスパン、例えば3試合まったく当たりがない場合は、早出特打ちや、試合後の練習などのメニューを追加するなどのアレンジもしていましたね。そのメニューは、選手それぞれ違って、一流選手はそういった調子が悪いときの処方箋みたいなものを持っていましたね。
青木 僕が教えている選手たちを見ていると、全試合100%の力でもって臨もうとするんです。もちろん、体力的にそれが可能で、成績を残せるならいいですが、そうはいかない。
谷繁 それで言うと、僕は自分の調子が7割ぐらいの力でどれほどのパフォーマンスが発揮できるか、それを知ることは大事だと思っていました。
調子の良さ・悪さは数日、数カ月の短期・中期で見てきた谷繁。「不調は誰にでもある」。それがわかっているだけ競技者としてプラスだ
青木 まさしくそれなんです。自分の状態が50、60点くらいで、どうやったら予選を通過できるか。選手にはそれを知ってほしいんです。そのために、プロキャディを雇わずにプレーしてみるよう助言することもあります。予選会など、プロキャディが雇えないこともありますから。そういう状況での自分を想定しておいてほしいんです。
谷繁 ゴルフでも野球でも、好不調はどうしてもあるし、体調にも波がある。でも、客観的な視点で「今は調子が悪いときだな」と冷静に見られれば、それなりの対処があるのだから慌てずにすむはずです。野球の場合は、例えばピッチャーの調子が悪ければ悪いなりのリードをキャッチャーがします。以前、横浜での契約更改の際、「チームを強くしたいなら10勝投手を3人補強したらいかがです?」と言ったら「それをなんとかするのが谷繁君の仕事だ」と言われて目から鱗が落ちるような気がしたことを思い出します。ゴルファーは、練習ではコーチの力を借りられますが、試合中は基本自己責任ですから、そこは大変ですね。
週刊ゴルフダイジェスト2024年3月19日号より
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