東日本大震災から10年。ゴルフとともに歩んだ東北ゴルファーのいま
PHOTO/Yasuo Masuda、Kazuo Takeda、Yuichi Masuda
東日本大震災から10年。未曾有の災害を経験しながらも、強く前向きに歩み続けてきた東北ゴルファーたちの10年間を追った。
File1. 気仙沼CCの親子三代記
「ゴルフに恩返しがしたい」
廣澤さん一家のゴルフ物語は、あの日から始まった。気仙沼CCのメンバーで日本シニア経験者のトップアマ、三千男さんが、当時小4だった孫の京平くんを連れ、日々コースに通うようになったのだ。
10年で変わったこと。京平くんの身長が40cm伸びた。お爺ちゃんのスパルタ教育で上達した京平くんはトップジュニアとなり東北高から東北福祉大ゴルフ部へ。京平くんの父、一成さんは2年前、クラブの支配人になった。三千男さんは、クラブチャンピオン、シニアチャンピオンに加え79歳でグランドシニアチャンピオンの称号を得た。
「震災後もコロナ禍も地元の方に助けてもらいながらやってきました。去年は震災後で一番お客さんが多かった。ただ営業していればいいという姿勢を皆で見直しました。メンバーさん1人1人の名前を覚えることから始め、1人ずつお電話もして。いろいろな企画も考ました。私たちは駄菓子屋みたいなもの。時代と地域に沿った考え方で頑張っていきたい。オヤジみたいに年配の方には認知症予防や生活習慣病対策にも役立ててほしい。ジュニア育成も協力していきたいです」(一成さん)
2011年
震災直後、コースが癒しの場に
あの日、高台にあるコースから津波が町を飲み込む光景を呆然と見つめたメンバーたち。震災後、風呂やコースを開放。クラブは市民の健康被害の防止に役立った
2016年
息子が同じ背丈になった頃、父はコースで働き始めた
家業を離れ従業員となった頃の一成さん。京平くんはメキメキ腕を上げ、東北ジュニアで2位に、強化選手にも選ばれた。「資格やライセンスを持っていると強い。息子にもプロになってほしい……」
「震災後すぐ、近くの病院で検査すると『あと10年生きられない』と言われ、京平が泣いたんです。それから一生懸命ゴルフをして、去年の検査で、『今から10年は保証します』と。9年前より数値が全部いい。ゴルフのおかげです。そして京平に一番言いたいのは、ゴルフは想像以上の人との出会いがあるということ」(三千男さん)
「この10年、人間性は成長した。ゴルフも含めて“考えられる”ようになりました。寮生活を経験し、仕事しながら家事もこなす親はすごいなと。目標は日本学生、日本アマに出て活躍すること。そこからプロは考えたいです」(京平くん)
「震災後、ゴルフは大切なものになった。息子はゴルフで高校と大学に行かせてもらい、オヤジは健康に。僕はお給料をもらっている。ゴルフ界に少しでも貢献できるようにしていきたいです」(一成さん)
つい先日、三陸道が開通し、仙台から宮古までがつながった。また新しいつながりを生む舞台を、三世代でつくっていく――。
孫と何千回とラウンドした心躍る9ホール
File2. 仙台・石巻ジュニアが育み続ける夢
「それぞれが悩み、成長した10年でした」
今野忠廣プロ(55)は、仙台、石巻でジュニアを教えて20年近くになる。震災直後も、家でじっとせざるを得ない子どもたちの心身を案じ、できる限り早くレッスンを再開した。「『ゴルフしよう。遊ぼう』と呼びかけ、父母やコース、練習場の協力ですぐに再開できたんです」
あのときの小学生は大学生になり、あのとき生まれていなかった子たちもゴルフを始めている。
「今、仙台で25人、石巻で6人を週5回教えていて、変わらず忙しくしています。皆を競技に出すのが目標。1回出ると楽しいし、試合のために練習も頑張れるんです。10年経ち、教え子にはゴルフに関わっている子が多いですね。大学生や研修生になったり、コースに就職したり。ティーチングの道に進みたいという子も出始めた。それに忘年会コンペには、プロになったOBの子も来てくれて、下の子とラウンドしてくれる。教えが積み重なっていく証拠ですよね」
今野プロの息子であり東北福祉大4年の匠さんは、今や“世界の”が付く同じ名前の金谷拓実プロと同級生だ。「コロナ禍はしんどいですが、皆できることをやっていました。金谷は、自分とまったく違う世界にいると思うけど、彼に勝たなければその先はない。そういう気持ちで頑張ります」。ゴルフ場の研修生になり、プロテスト、QT突破を目指していく。
2011年・仙台
一番左端が小6時の今野匠くん。「10年で成長したことは、考え込まなくなったこと。中高生時代は、結果を出さないとダメ、と焦ったりしました」
10年前、石巻で出会った内海将太くんも、東北福祉大の1年生。前出の気仙沼CCの廣澤京平くんと同級生だ。「松山(英樹)さんはオーラがあって話しかけられません(笑)。高校は青森・八戸工大高へ。初心者も2人いるゴルフ部。中学から成績が伸びなくて辛くて悩んでいたけど、高3でキャプテンになって責任が出てようやく結果もついてきた。福祉大に入ったからにはプロを目指して4年間でいろいろ知識や技術を身につけたいです」
2011年・石巻
一番右端が小4時の内海将太くん。5年前には松山英樹プロが目標だと語っていた内海くん。後輩として、先輩たちの偉大さを感じながら勉強と練習の日々だ
2人とも、地元の後輩ジュニアに温かい目を向けアドバイスもする。それぞれが悩んで成長して夢に向かって進む。夢はつながっていく。
小学生の息子は今や大学生に
2021年・仙台
左から今野プロ、白木蘭ちゃん(小5)、江尻光ちゃん(小4)、今野匠さん。「ゴルフは楽しい。プロになるより趣味でお父さんと回りたい」(蘭)、「石川遼プロの動画を見て楽しそうだと思って始めた」(光)。自身、シニアの予選会に出続ける今野プロは「トレーニングもして10年で飛距離は落ちていない。大学生と回ると飛距離では勝てないけどスコアでは負けません」
2021年・石巻
左上から内海将太くん、佐藤亮太くん(中2)、今野プロ、三浦純愛ちゃん(小3)、三浦絆愛ちゃん(小5)、門馬さくらちゃん(小3)、門馬吉光くん(小2)。「目標は世界で戦えるプロゴルファーになることです」(佐藤)
File3. 南相馬・鹿島CCの闘いと進化
「いいゴルフ場になってきています」
福島県・南相馬氏にある鹿島CCの福躍好勝支配人(56)はこの10年、多くのことと闘ってきた。復興、放射能、東電との裁判、風評被害、入場者減、スタッフ不足……。「最高裁までコースを閉鎖して闘ったほうが楽だったかもしれない。でも、このコースを何とか残しておきたいと。地元の方に支えられてきました。裁判も昨年終結しました」
この10年、クラブハウスをシンプルに建て替え、ハウス周りの芝を張り替え、バンカーを減らし、ティーマークを増やした。
「大震災、原発事故があり、どう復興していくかに加え、これからのゴルフ場のあるべき姿を考えてきた。生き残りをかけてスループレーを増やし、シャワーのみ、食事もスタートホールだけ。女性が楽しいイベントを作ったりもしました。昨年は前年比増。若いメンバーも増えました。新しい取り組みがコロナ禍にもマッチしたのかもしれない。でも常にコースは進化させていかないと。私はあと3年で引退ですがいいゴルフ場になってきています」
皆の想いがあれば、東北にゴルフはあり続ける。
使えなくなったコースは練習場に進化
使えなくなった西コースの9番ホールを広々とした練習場に。フジクラのシャフトテスト施設もある。「評判がよくて、ここだけに来る人もいます」さらに以前からコースの無料開放など、ジュニア育成に力を入れてきたが、最近ようやく、ジュニアの受け入れもできるように。
相馬家のお殿様の芝もここに根づいた
相馬孟胤子爵が英国から取り寄せた種子を培養した“日本最古”の芝「エバ・グリーン(相馬ベント)」を相馬家ゆかりのこの地に移植
週刊ゴルフダイジェスト2021年3月23日号より