【ゴルフはつづくよどこまでも】Vol.148「駅の蕎麦屋で誓った思い」
高松志門の一番弟子として、感性を重んじるゴルフで長く活躍を続ける奥田靖己。今週もゴルフの奥深い世界へと足を踏み入れていく。
PHOTO/Hiroyuki Okazawa
僕のデビューの頃は、同期にライバル心とかそういうんは特になかったですね。ただね、関東のやつに負けたくないという気持ちはありました。まだ東西対抗なんかもやってましたから、関東は敵や、みたいな感じはどこかにあった思います。
同年代は東(聡)と金子(柱憲)です。僕は大学に一浪で入ったんで、大学時代は同級生でしたけど年齢は彼らが一個下で、それを知っているから今も敬語で話してくれますけどね。学生のときに一度回ったことはあったけど、僕らからしたら彼らはスーパースターでしたからライバル心も何もない、相手にされてなかった思います。
- ジャンボ尾崎を「神様」と仰ぎ、いつか勝てる日が来ればと夢見てきた。それを成し遂げた1995年、ジャンボに次ぐ賞金ランキング2位に。しかし同年、肩を痛めてシード権喪失。その後舞台をシニアへ移し、優勝から遠ざかること10年の今年、妻が初めてキャディを務めた試合で、奇跡が起きる──。 TEXT/Yuzuru Hirayama PHOTO/Takanori Miki 東聡 ひがし・さ……
- 金子柱憲は「ジャンボ軍団」の一員として、尾崎将司をそばで見つめてきた。その影響力は強大で、出会ったときは未勝利だったが、その後ツアー通算6勝を挙げるなど活躍した。還暦を迎えた今、尾崎とのまばゆい歳月を、あらためて多くの人々に伝えたいと著書も出版。ともに歩き、ときに戦った、「ジャンボ」との記憶を語る。 TEXT/Yuzuru Hirayama PHOTO/Takanori Miki ……
プロですから、結果で判断される世界なんで、そんなんは当たり前のことです。レギュラーの試合で優勝して初めて、「これでオマエも一人前やな」って(尾崎)直道さんに声かけてもらいました。わざわざ握手をしに来てくれて、「これからも頑張れよ」いうて、ありがたかったですね。
ほかのプロも、それからやっと普通に話してくれるようになりましたからね。それまでは「おはようございます!」と挨拶をしても「オッ」と一瞥され、別にどうでもいいって感じでしたから。
勝ってようやく一人前のプロと認められたいうことを身をもって感じました。
でもね、それでよかったいう面もありましたよ。苦しい環境が人を育てますからね、何につけてもそうです。
試合に出始めの頃、新幹線のある駅で、試合の帰りしなに駅の蕎麦屋に入ったんです。カウンターには名の知れたプロゴルファーがズラッといて、僕が一番隅で蕎麦を食べてたら、後から人が何人か入ってきて、「あ、今日、試合を観に行ったんですよ。サインください」言うてね。
それで次々と順番にサインをしてもらって、僕の手前に来てスーッと去っていくんです。僕は無名やから、その人たちからすればプロゴルファーではない、いうことですわ。
そのとき、涙こらえて蕎麦つゆすすった……なんてことはないです。むしろ、当たり前や思ってましたから。でもね、蕎麦食いながら「よーし、今に見とれよ」とは思ってました。自分で言うんもなんですが、そういう気持ちが大事やいうことですわ。
「プロは、結果で判断される。苦しい環境が人を育てます」
奥田靖己
おくだせいき。1960年、大阪生まれ。93年日本オープンなど6勝。シニアで2勝。ゴルフの侘び寂び、温故知新を追求する
週刊ゴルフダイジェスト2023年10月10日号より