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【ゴルフ野性塾】Vol.1782「粗末に打ったらゴルフの神様に叱られる」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

5時34分に
ペンを持った。

現在時、5月11日、木曜日。午前6時55分。
私は読者諸兄の質問返答から執筆に入る。文字数調整はリード文で行って来たが、この習い、昭和60年5月の野性塾連載開始から変ってはいない。
窓の外、雲が厚い。
白銀の雲、薄色の黒き雲、重なり合って東の山を隠す。
今日、ソフトバンクの招待を受けてドーム球場に行く。
相手は北海道日本ハム。今年もソフトバンクの苦戦が続く。
これ迄、私が観戦に行ったゲームは総てソフトバンクの勝利だった。何故、私が招待されたのかは分らない。3枚のチケットが送られて来た。
今日の西新ゴルフセンターでの練習は中止。たまには休むのもいいだろう。
昨日10日は250球打ちました。それも1時間でだ。
今年の2月、150球から始まって200球に達し、今は250球打つ様になった。
仕事で福岡から離れた時以外は雨の日も風強き日も休まずに打って来た。
150球の練習だと気付く事は少なかったが200球、250球だと気付く事は多い。
体調良好です。

フィニッシュの左肩で距離感を作れ。

50ヤードから80ヤードくらいの距離が苦手です。よく振り幅を変えて10ヤード刻みの距離を覚えると言いますが、距離も方向もバラバラで上手く打てません。塾長、振り幅を変える以外に、中途半端な距離の距離感を出す方法はありませんか。(茨城県・匿名希望35歳ゴルフ歴3年平均スコア100)


50ヤード打てと言われて正確な50ヤードの距離を打てるプロ、何人いるだろうか。
そりゃ10球も打ちゃ10球の中に3、4球の50ヤードは出ると思うが、一発勝負、50ヤードの距離、ピタッと打てる者、一人もいないと思う。
距離の余裕は必要だ。
その余裕を車のハンドルと同じ遊びの距離、許しの距離、妥協の距離、進歩の距離と考える事は出来る。
遊びの距離、許しの距離は現状に満足している人の考えであろうし、妥協の距離は現状に満足してはいないが、人間のやる事、完全は無いとの認識持つ人の考えかと思う。
そして、進歩の距離は50ヤードから遠く離れた距離に対して1歩でも50ヤードの精度に近くと想う貪欲なる上達意識、持つ人の考えであろう。

研修生時代の私は進歩の距離と考えた。
その時期、プロになってツアー参戦してからも続いた。
いつの頃だったか、確かな記憶はないが、7試合連続の1打足らずの予選落ちが続いた頃と思う。
妥協の距離と思う時期に入った記憶を持つ。
私は妥協したのです。
1ストローク足りずのゴルフに疲れていたのかも知れない。
稽古事、鍛錬事、続き事、戦い事に於て疲れは敵である。
体が疲れ、気持ちが疲れると技は鈍る。そして妥協する。
己の中の何かを許そうとする。

この年の私の最後の試合は沖縄の大京オープンだった。
沖縄へは女房、雅樹、寛子を連れて行った。お金の余裕はなかったが、沖縄の地の移動にバスを使い、宿は試合会場の大京カントリークラブから歩いて3分のみゆきビーチに泊れば移動の経費は少なくて済む。
この時、私は大京オープンで予選通らなければプロゴルファーを辞める気でいた。
24歳でゴルフを始め、27歳でプロテストに通り、すぐのツアー参戦。しかし、順調なツアー生活ではなかった。
九州のプロとアマチュアだけが参加出来る公式戦、九州オープンも予選通るかどうかのぎりぎりの予選ラウンド2日間だったと思う。
結果は予選を通ったが、その時の様な成績は初めてだった。
己の力量、落ちている事を知った。

予選通過は見上げる成績ではなかった。
私のゴルフと歩く長き友だった。
優勝とかベスト10入りとか、シード取りなどは見上げる成績だったが、予選通過は50%以上の確率で得られる可能なる成績だった。
ショットは良かった。勇気も自信も持っていた。
パットだけが臆病だった。
平均パット数はツアー最下位だったと記憶する。
一年だけではない。何年も最下位が続いたと思う。
仲の良かった中嶋常幸と藤木三郎が同情した。
パット下手の上野忠美も同情した。
同業者の同情は辛いものだ。
私は沈黙した。
ただ、ひたすら練習グリーンの端っこで球を転がしたが、端っこで球転がす人が一人いた。
パット巧者の杉原輝雄さんだった。
杉原さんは私の練習を見ておられた様な気はする。毎試合、毎試合、端っこで練習すれば、そりゃ見る人は見ているだろう。

「端っこで転がすのは研修生時代からの習慣だ。君も端っこで球を転がす研修生生活、やって来たのか。だとすれば一つアドバイスしよう。君の持つ先週と今週のパター、違っていると思うが違うかな」
「はい。友人のパターを借りて来ました」
「パターは変えるな。変えるのであれば腕を変えろ。パットに必要なのは一途さだ。それをグリーンの端の練習で学んだのではないのか。悩み、願望は誰でもが持つ。しかし、その悩み、願望をクラブに向けては駄目だ。パターは変えるな。それがグリーンの端っこで球を打ち続けている私の考えだ」

私は杉原さんの眼を見続けた。
遠い声の様に聞えた。
眼の前の杉原さんの声だったが、私には遠くから届く声の様な気がした。

私はパターを頻繁に変えて来た男である。
研修生時代は一本のパターで過したが、ツアー参戦して5年過ぎた時から変え始めた。買う余裕はなかった。先輩のパターを借りたり、友人や支援者のパターを借りて試合会場に向った。

私は杉原さんの指示を受けた後、パターを研修生時代に使っていたものに変えた。
速いグリーンであろうと遅いグリーンであろうが、傾斜の強いグリーンであっても傾斜少なきグリーンであっても研修生時代のパターで試合に臨んだ。
大京オープンは1打で落ちた。
金曜日の夜、大京CCのキャディマスターが予約してくれた那覇市内のビジネスホテルで家族4人の夜を過した。夕食は4人共、ソーキそばと白飯だった。

物書きを始め、生活豊かになった時、沖縄に行った。
女房と雅樹、寛子、そして私の母を連れて行った。国際通りのステーキハウスに入った。眼の前でステーキが焼かれた。
これが沖縄ネ、と長女寛子が叫んだ。寛子、中学生の時と記憶する。雅樹は高校生。
私は微笑んだ。女房も母も微笑んだ。嬉しかった。ソーキそばと白い御飯からステーキのフルコースへと生活は変った。

貴兄は進歩の距離に生きる年齢と思う。
トップ位置、左腕の左肘を伸ばしたスウィングを目指して貰いたい。
左肘を伸ばせばヘッド軌道は楕円化する。
100ヤード以内の正確な距離を作るには楕円軌道が要るのです。
そしてフィニッシュ。
多くの方は右腕、右肩に意識を向けるが、ヤード刻みの距離作りには左肩の位置への意識が必要だ。
フィニッシュ時の左肩の位置で距離を作ればいいのです。
打ち終えた後、左肩の位置のチェックをすべきと思う。
慣れれば簡単な事だ。
習慣化する迄の根気は要る。習慣化は無意識を生む。
無意識は大切なものだ。
腕とか感覚に頼っては頼り甲斐のない打ち方になって来ると思う。
粗末にしたらゴルフの神様に叱られる。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2023年5月30日号より