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【日本オープン激闘史】#7 すべてを出し切った18歳の石川遼。プレーオフで清々しく散る<2009年>

国内男子ゴルフ最高峰の舞台「日本オープン」。数々の名勝負を生み出した激闘の歴史をプレーバック! 今回は2009年に行われた第74回大会をピックアップ。

TEXT/Takeo Yoshikawa

第74回大会(2009年)
武蔵CC豊岡C/18H・7083Y・P72

優勝:小田龍一
-6 Total 282(74・70・71・67)

この年の注目はやはり“ハニカミ王子”フィーバーを巻き起こし、前年にプロ転向した石川遼。史上最年少の18歳で初出場したプレジデンツカップからトンボ返りでの参戦だったが、初日は10位タイの好位置でスタート。アマチュアの松山英樹も同スコアだった。2日目、10番からスタートした藤田寛之はティーショットを左の林に打ち込み紛失球とするも「ここからスタート」と気持ちを切り替えて首位を奪取。1打差には前年優勝の片山晋呉、宮本勝昌、今野康晴らが続くが、石川はスコアを崩し38位タイへと大きく後退。

3日目は星野英正が15番まで9バーディ、1ボギー。16、17番をボギーとするが66で猛チャージ。それを上回ったのが石川で、7バーディ、ノーボギーの65、コースレコードを叩き出す。しかも6番パー5ではティーショットを池に入れてのバーディ。一気に単独首位に躍り出た。

最終日には1万7687人ものギャラリーが詰めかけるなか、ギャラリーの携帯のシャッター音が鳴るトラブルもあり石川は前半38とスコアを伸ばせず足踏み。今野も37と伸ばせないでいた。そんななか、5位タイでスタートしていった小田龍一は7、8番で連続バーディ、後半もバーディを重ねて33として通算6アンダーでホールアウト。最終組をプレーしていた石川、今野も同スコアで3人による18番でのプレーオフに突入。2ホール目、今野、石川のバーディパットが外れ、2メートルにつけていた小田が最後のパットをねじ込んで、プロ9年目にして初優勝をナショナルオープンで飾った。

小田はこの日の8番ホールでティーショットを引っかけてしまい、球は左の林へ。ところが、そこで観戦していた小田の夫人、裕子さんの左肩に当たり跳ね返りフェアウェイに戻ってくるという、まさに勝利を示唆するような出来事が起きていた。

惜敗した石川遼だったが「気持ちいい、終わった後すがすがしい気持ちになるのは初めて」と語った。

週刊ゴルフダイジェスト2022年11月1日号より