「私に優勝を断る術はなかった」1968年のマスターズチャンプ、92歳で泉下へ
マスターズは閉幕したが、歴代優勝者の1人が今年1月、他界していたことを、遅まきながらお伝えしておこう。
その人の名はボブ・ゴールビー。PGAツアーで11勝を挙げている。彼の名が全米中の注目を浴びたのは68年のマスターズ。ゴールビーが優勝したものの、それは後味の悪いものだった。
ゴールビーの2組前を回っていたロベルト・デ・ビセンゾ(アルゼンチン)が、同じく11アンダーでトップタイ。ところがアテストを終了したところで、ビセンゾのスコアは10アンダーに。ビセンゾが奪った17番パー4のバーディを、マーカーのトミー・アーロンが「4」と記していて、それに気づかずにサインしてしまったのだ。その結果、ゴールビーがグリーンジャケットに袖を通すことになった。
マスコミは「デ・ビセンゾの悲劇」と書きたて、大会創始者のボビー・ジョーンズは「私の胸の中では今年の勝者は2人いる」と声明を出した。勝者より敗者のほうが注目を集めてしまったといえる。
英語がしゃべれなかったビセンゾは、もしかするとアテストも面倒だったのかも。それにスコア提出所も18番脇にあって、人混みで落ちつけなかったのかもしれない。次の年から提出所は部屋が用意された。
ゴールビーは後に「プレーオフを戦えたらよかった。しかし私に優勝を断る術はなかった。史上最高の大会に優勝したのに、史上最悪の表彰式になってしまった」と嘆いた。
ゴールビーの子息、ガイはコース設計家で、日本では我孫子GCや狭山GCの改修にシェイパー(現場監督)として来日。そのとき、当方はインタビューしているので、引用しよう。
「父が優勝したとき私は5歳で、イリノイの田舎町は大騒ぎ。次の日から電話が鳴りっぱなしでした。持ち出し禁止のグリーンジャケットを持ち帰り、5歳の私に着せてニコニコしていたのを思い出します。騒動はそれだけに終わらず、翌々日から抗議の手紙が殺到し、ダンボール2箱におよびました。それでも父の人生にとってマスターズの優勝は、エポックメイキングだったと思います」
ガイは大学卒業後、銀行に勤めていた3年間、父に付いてマスターズでキャディをしている。「それがコースデザイナーを目指すモチベーションになっていて、マスターズには親子ともども恩恵を受けているわけです」と結んだ。92歳、ゴールビーがゴルフ人生を全うした。合掌
(特別編集委員・古川正則)
週刊ゴルフダイジェスト2022年4月26日号より