【ゴルフはつづくよどこまでも】Vol.70「親父の教え」
高松志門の一番弟子として、感性を重んじるゴルフで長く活躍を続ける奥田靖己。今週もゴルフの奥深い世界へと足を踏み入れていく。
PHOTO /Tadashi Anezaki
指宿(いぶすき)には親戚もたくさんおって僕にとっては故郷みたいな町やという話をしました。
1981年、第1回カシオワールドを指宿GCでやったとき、僕は学生でギャラリー整理やったのです。優勝したのはリー・トレビノ。ものすごいテクニックの持ち主で僕が憧れておった選手です。格好よかったですな。
僕がプロになったとき、親父が親戚に披露するものすごいパーティを指宿で開いてくれました。親戚は山川港、枕崎港で水揚げされたカツオを鰹節にし、いろいろな商品に加工して全国に販売する商売をやっております。
「オレの自慢の息子がやっとプロになったんやで。悪たれ坊主だったこいつが。カシオみたいな試合にはまだ出られへんけど、いつか出られたええなあ。応援頼みますよ」と親父は誇らしそうでした。僕が26歳のときです。
まさか自分にその試合で優勝する番がまわってくるとは思わへんでしたな。
1995年、最終日に首位に3差6位タイでスタートした僕は、優勝圏外やったと思われておりました。首位タイはジャンボさんやったから当然です。ところが、最終ホールでイーグルを奪って64。ジャンボさんに1打差で大逆転の優勝やったのです。
僕のプレーに18ホール付いて歩いて見届けてくれた親父は、その翌年に亡くなりました。
親父が「悪たれ坊主」と言うように、若い頃の僕はホンマに親父には迷惑をかけました。せやけど親父は「お前は、それを百倍にして返してくれた」と亡くなる間際に喜んでくれたのです。
ええ親父でした。いろいろなことを教えてくれたものです。
「お前は、青木(功)になったらあかんで。尾崎(将司)にならなあかん」と言うのです。
どういう意味か言うと、「青木は職人やねん。職人は結局プレーをするだけや。営業上手な、そっちのほうにいったほうがええ」と。これは親父の言葉で、僕の意見ではないですよ。誤解せんでください。結局、僕は親父の教えとはまったく逆の方向にいってしまいました。職人やないと生きられへんのです。職人どころか、僕の師匠なんか「お前は修行僧や」と言います。
職人でも修行僧でも、どっちでもええですけど、やっぱりゴルフを追究するのは一生止められんですな。
今もシニア最終戦を行う指宿。「いろいろ教えてくれた親父との思い出もある土地です」
奥田靖己
おくだせいき。1960年、大阪生まれ。93年日本オープンなど6勝。シニアで2勝。ゴルフの侘び寂び、温故知新を追求する
週刊ゴルフダイジェスト2022年3月1日号より