【インタビュー】プロ20年・上原彩子「やりたいことに挑戦しないで終わる人生は嫌だ」
今年でプロ転向20年目を迎える上原彩子。日本で10年、アメリカで10年、戦ってきた。そのプロゴルファー人生をじっくり語ってもらった。
PHOTO/Tetsuya Sakurai、Shizuka Minami、Hiroyuki Okazawa
10年ぶりに対面した上原彩子は、以前のままのほんわりした雰囲気をまとっている。
「あっという間にプロ歴20年です。今、38歳ですよ」と見た目としっくりこない数字を口にする。
上原彩子は“もってる人”だ。それは米ツアーでシードを一度も落としていないことにも表れている。
「本当にラッキーもあって。たとえば15年にシード落ちしそうなとき、日本のQTに出場していたんです。するとインドネシアで火山の噴火があり空港が閉鎖、そこで行われていたイベントから(日米共催の)TOTOに参戦予定だった選手が来日できなくなった。私のQT会場と試合会場が近かったのも幸いしました。急遽私も試合に出場できて、39位タイに入りギリギリでシードをキープ。『絶対普通じゃ終わらないよね、もってる!』と言われました(笑)」
上原の“もってる伝説”は、まだたくさんある。
●13年、初メジャーのナビスコ(現シェブロン選手権)に、前週の成績がよかったおかげで最後の1人で滑り込んだ。
●16年のカナディアンパシフィックオープンでは、2日連続でホールインワンを達成し10位タイ。またもギリギリでシード入りを決めた。
●昨年、全米女子オープンの予選会。1日36ホールの戦いを17番ホールインワン、18番バーディでプレーオフにもち込み、チップインバーディで出場を決めた。
ホールインワンの多さも“もってる彩子”を物語る。日本ツアー時代はサントリーの同一ホールで2回、ニトリとヨネックスで1回ずつ。米ツアーではダンクシュートのようにカップインしたこともある。
しかし、“もってる彩子”を支えているのは、上原の技術やメンタル力だ。7週連続のイーグルを記録したこともあるショット力の持ち主であり、「何とかしなければというより、目の前に集中することだけは意識しています」と、ここぞの集中力は誰にも負けない。
19年の火災を免れた守礼門の前で。大好きな沖縄が自分を育ててくれた。首里城火災に心を痛め、沖縄のプロ中心にチャリティコンペを企画。コロナで中止となったが「また何かのタイミングで、皆で実施したいですね」
挑戦せずに終わる人生は嫌!
米女子QTに一発合格
上原の本格的プロゴルファー人生は、04年のプロテストトップ合格という輝かしい成績から始まる。
「(宮里)藍選手、(横峯)さくら選手と一緒にツアーに入って。2年くらいは思うように成績が出ずに大変な思いをしましたから、シード権の大切さはすごく感じるようになりました」
1勝目は08年のフジサンケイ。
「前年に同じ試合で最終日首位スタートだったんです。佐伯三貴選手と競っていて、15番パー4でセカンドがグリーン奥に行き優勝争いから脱落した。その悔しさがすごくあり、翌年、同じホールで長いバーディパットを決めて初優勝できたから、より印象深いです」
その後2勝を挙げ日本ツアーで計3勝し、アメリカに挑戦した。
「皆から、なぜこのタイミングで! と言われたんですが、ジュニアの頃からナショナルチームとして日本代表で海外に遠征に行っていたので、やっぱり向こうで戦いたい、メジャーに出たいという気持ちが強かった。はじめは、日本でメジャー優勝して複数年シードも取れたら行こうと思っていましたが、何よりその頃ケガをして、『本当にやりたいことに挑戦しないで終わる人生は嫌だ』と思い、米ツアーのQTを受けました」
途中カットも行われる5日間連続のQTで見事3位通過。13年から憧れの米ツアー生活が始まった。
初戦のオーストラリアからタイへ。早くも4日間試合と移動距離の長さの洗礼を受け、2週間で4㎏くらい体重が減った。
「アメリカ本土に戻って態勢を整えました。食事などのサポートの必要性を感じ、母や姉に交替で来てもらい、キッチン付きのホテルを探し、お味噌汁とお米はしっかり準備しました」
コースの難しさに驚きもした。
「一番強烈な印象は、1年目の全米女子オープン、ニューヨークのセボナックGC。予選会をトップ通過して参加しましたが、日本では見たことのないコースで。海沿いで風も強く、グリーンのアンジュレーションも大きくて、全部難しかった。マネジメントをどうしていいかまったくわからなくて。沖縄も風は強いですが、コースの印象やセッティングが全然違う。目から入ってくるプレッシャーも。それに海外の試合ではよくあるディレイ(遅延)にも遭遇しました」
とはいえ、アメリカ生活を辛いと感じたことは一度もない。上原彩子は皆が悩む“壁”をひょいと飛び越える。
大変なことは本当に多かったけど
全部が楽しかった
米初戦で、プロアマの参加予定もないのに日本の感覚で前夜祭に行ってしまったが、「なぜか席がない。せっかくだからと急遽席を準備してくれ、そこがLPGAのスタッフ席で、LPGAの方に覚えてもらいよく声をかけてもらいました」。同じテーブルにいた韓国のチェラ・チョイは、それ以来の親友である。
試合会場では選手皆に片っ端から「よろしくね」と声をかけた。「LPGAの方が、日本人でこんな選手は初めてだとメディアの方に言っていたらしいです」
試合会場に行くと毎年、現地スタッフやボランティアが「彩子、お帰り」と、試合後は「来年また来てね」と、家族のように接してくれる。カーテシーカー(送迎車)の対応日でない日も宿や空港まで送ってくれることも多々あった。
壁を越えるのではなく、上原は壁をつくらないのだ。昔から変わらない。日本ツアーでは、海外選手を見つけては英語で話をした。
「私、しつこいんです(笑)。ジュニア時代の遠征でも日本チームではなく海外選手の隣に座って英語で話をするようにしていました」
高校の寮の近所の方に野菜や米をもらったり、タクシー運転手と仲良くなって自宅に呼ばれたり。
「本当に行くところ行くところでいろんな方に助けてもらって、いろんな出会いもあって。アメリカでもまさにそれです。拠点はダラスに設けましたが、転戦するなかで、現地に知り合いができて、自分の家を使ってもいいよと言ってくださったり。そのなかには沖縄の基地でジュニアの交流試合を運営していた方などジュニア時代からの親しい知り合いもいます」
将来に備え中学3年間、英会話を習い英語日記を毎日つけていた。海外挑戦のコツは「違う部分があることを受け入れきれないと、考えすぎて『試合に集中できない』と感じ始めます」
沖縄では“つながり”を大事にする。それがアメリカ各州の“助け人”につながっている。
「運転も自分でしていますが、最初にアリゾナからサンディエゴに移動するとき、ガス欠の危機になって。砂漠を走り、やっと見つけたスタンドで、少し“ケチ”な考えが出てきて、残り距離を計算して給油した。するとまた、ガス欠の危機に(笑)。ようやく目的地が近づいて、もう大丈夫とスピードを上げたら警察に止められました。日々勉強ですよね」と、自身のエピソードを面白く話してくれるのだが、かなり怖い状況だ。
「(有村)智恵選手などにもよく言われました。なんであれもこれも楽しめちゃうのかって。でも、こんなこと、日本にいたら味わえないと思うんです」
上原はジュニア時代の大会遠征時、節約のため安い民宿に泊まっていたという。掃除は自分で行う、トイレは水洗ではない、ときにゴキブリが出る……こんな経験も面白く話してくれる。経験をしっかり消化し糧にできているから、目の前のことを楽しめるのだろう。
12年米女子ツアーQTを共に通過した有村智恵と。「私はこっそり進めていましたが、同じタイミングで智恵選手が受験することになって。エントリーシートに『あれ、上原彩子もいる』ってバレました(笑)。アメリカではすべてをポジティブにとらえて全部が楽しかった。周りの日本選手からも変わってるねって(笑)」
キャディ役もする姉・よしのと。「当初は本人がやりたいことに挑戦し、1、2年で帰ってくるのでは、と家族は思っていましたが。いつもシード権が首の皮一枚つながって(笑)」
姉・よしのも、当時、毎週のようにハプニングを楽しそうに話す彩子を知っている。
「コースのことも日常のこともすごく楽しそうに話をするんです」
順応力は、大きな武器だ。
「アメリカは夜に出発して2時、3時に宿に着くこともある。それでも皆タフで妥協しない。トレーニングもしっかりしているし、夜中に着いてもその日にゴルフ場で練習もしている。本当にストイックです。私も免疫力が上がった気がする。周りのタフさに順応したのかもしれません。でも私は、本当にツキがあるんです(笑)。ゴルフや生活でハプニングが起きても、よいほうに軌道修正されることが多いので、“もってる”のかなと」
気づけば、アメリカに10年。あらためて、アメリカと日本のコースやゴルフの違いは何か。
「日本とは違いアメリカにはいろんなタイプのコースがある。芝の質だったり空気の重さだったり、午前と午後でもイメージがガラッと変わります。それに対応していく必要がある。対応能力は高くなりました」
日本選手もパワーがつきました
飛距離やパワーに差があるぶん、小技でカバーするスタイルで戦ってきた上原だが最近の日本選手のレベルは上がっていると断言する。
「力がある子がたくさんいる。昨年、帰国したときに稲見萌寧選手と回って、風が強いコースでジャッジも難しいのに距離のコントロールがすごかった。小祝さくら選手も上手いなあと。トータルで全部抜けがない。それに、飛ぶ選手も増えていると思います。以前は、たとえば(宮里)藍選手は、パッティングがすごく上手くて米ツアーでも勝っていましたが、今は(畑岡)奈紗選手はしっかり飛距離も出ます。体つきも素晴らしくパワーもある。昨年はもう少しのところで賞金女王を逃しましたが、チャンスは目の前だと思います」
昨年の全米女子オープン、同じ舞台に立っていた上原も、日本人同士のプレーオフに衝撃を受けたという。
名門・オリンピックCで開催された昨年の全米女子オープンに出場。しっかり予選通過した。「ここでプレーできて嬉しかった。難しかったですが、私は相当渋いパーパットを沈めまくっていました(笑)」
「奈紗選手と笹生(優花)選手。間近でずっと見ていました。ティーショットを見たらセカンド地点に走って、完全にギャラリー(笑)。でも、自分もプレーしていたコースなので、すごさがわかる。今年は古江(彩佳)選手や渋野(日向子)選手もアメリカに入ってくるし、どんどん盛り上がりますよね。私も嬉しいです」
これからアメリカ挑戦する若い選手にアドバイスは?
「日本で常識となっていることが、全然通じない。そのへんをわかって上手く順応していけばいいと思う。ゴルフだけでなく生活もです。英語は、通訳がいてもいいと思いますが、私は食事が一番気になったので、食事の世話をしてくれるスタッフを優先に考え、通訳は付けずにキャディさんから学ぼうと決めました。人それぞれ何を求めるかだと思います。英語のやり取りも自分でやれることは自分でやろうという感覚が、日本にいる頃より強く持てたのがよかった」
基本、出られる試合は出る。コロナ禍の21年も前半戦はフル参戦した上原にとって、途中体調を崩して試合に出られなかったことで初めて辛さを感じたという。
「体調とコロナは全然関係なくて、昨年の春先に湿疹が出て、どんどん酷くなった。原因が全然わからない。かゆくて夜寝られなくて、氷で冷やしながら寝たり。睡眠不足だと連戦で体力が続かないので、エビアンに行く予定をキャンセルして日本に戻りました」
以降、沖縄でゆっくり過ごしつつ、練習に取り組んでいる。現在のコーチと呼べる存在は飯島茜だ。
「スウィングで悩んでいたときに、アドバイスをもらってからです。動画も送ったりします。これからもお願いする予定です」
米ツアーでは公傷制度を使う。昨年出られる予定だった残り8試合、復帰した時点からポイントが加算され、21年のシード選手のポイントと比べて判断される。「まだどの試合から出るかは未定です」。
中身の濃いプロ20年を振り返りながら、これからをじっくり考えるための休息にはちょうどいい。
社会貢献活動もプロとしての役目
ボランティア活動にも熱心な上原。04年のプロ入り後すぐから乳がん撲滅活動「ピンクリボン」として、1バーディにつき1000円の寄付をしている。
「自分の頑張りにもつながります。額は小さいですが、長く続けられたので金額も増えました」
09年からは自動販売機を使ったチャリティ「ゆび募金」も行う。スポンサー企業から広がり、大きな金額になっている。東日本大震災後は、福島の子どもたちを沖縄・久米島で受け入れる子ども保養プロジェクトにも寄付している。
社会貢献の精神も幼少時から変わらない。掃除好きで責任感・正義感が強い上原は、ゴルフ場で、小さなゴミでも拾いながら歩く。
「小学生時代の夢が沖縄中を一人で掃除することでした。人はコントロールできないから、自分一人で端から端まで綺麗に掃除をしたいと思っていた。でも、大人になって、一人では何もできないとわかりました。皆を巻き込んでやるほうが大きな力で早くできる。今は自分がやりたいこと、発信することに賛同してくれる人が集まってやってくれる感じです。以前、ファンイベントを行ったとき、沖縄に来ていただき、ゴルフはもちろん琉球ガラスづくり、エイサー体験などもしたのですが、ビーチクリーンや珊瑚の植え付けもやったんですよ」
ルールを守らないことも、ムダ使いも嫌いだ。
「昔からゴミやたばこのポイ捨てをする人にはお説教していました。結構しつこく(笑)。さすがに家族に、相手に何をされるかわからない、世の中にはいろいろな人がいる時代だと言われて。だから、自分で拾って、それを見た人が気づいてくれればいいと考えるようになりましたね。それに試合でもペットボトルの飲み残しがあるまま捨てるのは嫌です。プロになったら全部支給してもらえて当たり前、モノがあふれているから大切さがわからなくなったりする人もいるかもしれない。欲しいものが手に入り、ご飯も食べたくなければ食べなくてもいい、残しても平気というプロもいる。世界には食べられない子もたくさんいます」
上原の言葉にハッとさせられ、心地よくもなる。忖度なく飾らない真心が、境をつくらず、人々に届くのだろう。
新たな10年も挑戦し続ける
これからの10年、セカンドキャリアも考えるようになった。
上原と一緒に日本の女子プロ界を支えてきた選手たちの結婚・出産ラッシュに話を向けると、「さくら選手は結婚も一番遅いと思っていたのに、最初に結婚して子どもも産んで。パートナーとの出会いで変われるんですね。藍選手もお母さん。(宮里)美香選手や(上田)桃子選手も結婚して。私にもいい人がいたらと思いますが、まだ全然その気配がない(笑)。スポンサーさんのところに挨拶に行くと、いつもその話題になりますが、一度も誰からも紹介してもらったことがないです」と笑う。
上原には、どんな目標があるのだろうか。
「まずはゴルフで成績を出せるように頑張りたい。そして、ゴルフ以外のことにも。この10年で、日本と海外の違いを感じられました。特に食に対しての違いを感じたので、それらを伝えていくような挑戦もしたいなと思います」
“もってる彩子”はきっと、ゴルフでも人生でも、これからもひょいと壁を越え、チャンスを逃さず歩んでいくのだろう。
朗らかだが芯のある上原。「米ツアーの選手は、競技人生が長い人も多いし、チャリティ活動も当たり前。皆セカンドキャリアも考えている。C・カーはワインビジネス、S・ルイスも大学時代のマネジメント学の知識を生かして活動したり」。米ツアーで得た糧を手に、さらなる冒険へと進む――
週刊ゴルフダイジェスト2022年2月15日号より