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「歌舞伎役者が舞台で大見得を切っているのと同じ」番記者が語るジャンボ尾崎の素顔

KEYWORD 尾崎将司

“ジャンボ”の愛称で親しまれた尾崎将司プロが2025年12月23日に逝去した。享年78歳。賞金王12回、通算優勝数は海外1勝を含め113回の金字塔を築いた不世出のアスリートの素顔を、長年追い続けた記者が語る。

文/吉川丈雄 写真/GD写真部、Joe Yoshikawa

理想を実現する
努力を続けていた

ジャンボ尾崎は努力の人だった。ある人は天才的と評したが「天才ほど努力をする。だから天才でいられるのだ」と反論していた。なんにでも探求心を持ち、納得できるまで追求していた。その結果、アスリートに必要なものは何か、技を発揮できるには体を作る必要があり、そのためのトレーニングとは、飛ばすにはどんな道具がよいのか、理想とするスウィングは、と追求する日々だった。その結果、庭にグリーンを造りいつでも試すことができるように整え、オフシーズンのトレーニングも実施、理想とする飛距離と弾道で攻めるためのクラブを求め開発した。

オフに本格的トレーニングを実践したプロゴルファーはジャンボ尾崎が最初だ。アスリートとして体を作ることの大切さを認識していた

ジャンボは人一倍シャイで人見知りだった

ジャンボと親しくなっても、目を合わせて会話したことはあまり多くなかった。「来週、自宅に行きます」と言えば「来なくていい」と、前を向いたまま周りの人に聞こえないほどの小声で答える。でも、実際に訪れるとこちらのリクエストには快く応じてくれるし、決して「帰れ」とは言わなかった。 

ある日、取材で訪れたとき「写真は上半身だけか。それならひげは剃ったほうがいいな。シャツは着ても下は写らないからこのままでいいか」と、やはり小声で聞いてくる。ところが椅子に座りカメラを見つめる表情は王者そのもので周囲を緊張させるほどの力がみなぎっていた。「このギャップは一体なんだろう」といつも考えてしまった。 

やはり取材の打ち合わせで訪れたとき、帰り際に挨拶をすると「どうも」と言って手を振ってくれた。ジャンボが「手を振ってくれた!」ことが脳裏に焼き付いて今でも昨日のように思い出す。ジャンボ家の庭でたき火に当たりながら話していたとき、ピーナツの皮をむいて「食べろよ」と差し出してくれたときも、やはり目線は別方向だったが、このことも心に焼き付いて忘れられない。 

派手な衣装に身を包んでいたが、「試合では歌舞伎俳優が舞台で大見得を切っているのと同じだ」と言われた記憶がある。舞台の上では自らを奮い立たせるが、舞台に立っていなければ「普通の人」だと気が付いた。「うちの人はかなりマメなの。あれも、これも作ったし、トレーニングの道具も一人で一晩中作り続けるのよ」と、かつて義子夫人が話してくれたことを思い出して納得した。 

あることがきっかけで「今まで友達だと思っていたのに、急に誰もいなくなったんだ」と悲しそうな表情で話すジャンボに「普通の人」を見ることができた。

初優勝は1971年9月フェニックスCCで行われた日本プロだった。この優勝の後4勝を挙げたちまちゴルフ界の寵児となった

1969年プロ入り前に撮影されたドライバーのスウィング。全身に力がみなぎり躍動感にあふれる。誰もが驚く飛距離を打ち放していた。ドライバーの飛距離に目が行ってしまうが、ショートゲームが卓越していたからこそ113勝という偉業を達成できた

ジャンボが
教えてくれたこと。

「まだ夢見の途中」

夢は見るものではない。夢は実現するものなのだ。
夢を見るのはいいが、それでは夢に近づくことはできない。
夢を実現するには目標に向かっての努力が必要で、
日々の積み重ねによって初めて夢に向かって進んでいくことができる。

「体・技・心」

技が発揮できる強靭な体があって初めて心が宿ることになる。
だから「心・技・体」ではない。
いくら「心」があっても「技」を発揮できる「体」がなければ意味がない。
体があり技を身に付けることができれば心は備わってくる。

「探求心」

向上心や夢が無くなったら終わりだ。
なんにでも探求心、好奇心を持ち「なんでだろう」と考え、
追求し学び、そして自分のものにしていくことが大切だと思う。
今の若者には「探求心」が少ないというか、あまり感じられない。

週刊ゴルフダイジェスト2026年1月27日号より