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【イ・ボミのスマイル日和】Vol.13 2年連続で賞金女王になれたのは間違いなく“ノリさん”のおかげ

2年連続賞金女王など輝かしい実績を残し、2023年に惜しまれつつも日本ツアーを引退したイ・ボミ。これまであまり語られてこなかった生い立ちや現役時代の秘話など、あらいざらい語り尽くす!

TEXT/Kim Myung Wook PHOTO/Takanori Miki

イ・ボミ 1988年生まれ。15、16年賞金女王。日本ツアー21勝のレジェンド

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ノリさんは、私が
“アプローチ下手”なのを見逃さなかった

私は日本ツアーで21勝もできたのですが、「よくこんなにも勝てたなー」と思うこともあるし、「もしかしたらもっと勝てたんじゃないかなー」って思うこともあるんです。ゴルフは1人でプレーするスポーツですが、ツアープロの場合は毎週試合が続くので、周りの人の助けがないといい成績は残せないものです。スポンサーさんやクラブメーカー、家族、マネジャー、トレーナー、そしてギャラリーやファンの声援――。そんな多くの支えの中で、トーナメント期間中に最も長い時間を共にするのが『キャディ』さんです。

私もこれまで多くのプロキャディさんと共に試合をしてきましたが、日本ツアーで2度の賞金女王になったときの専属キャディが清水重憲(以下ノリさん)さんでした。私がノリさんと出会ったのは日本ツアー1年目の2011年ですが、実はその前からノリさんの存在は知っていました。日韓対抗戦のときに(上田)桃子さんのキャディをしていたのも知っていましたし、日本ツアーに来てからも周囲の選手たちと楽しく会話している姿が印象的な方でした。 


当時は日本語もまったく話せなかったので、信頼できるキャディさんを見つけることは日本ツアーで戦っていくうえで大きな課題でした。そんな中である日、思い切って自分からノリさんに声をかけたんです。「もし予定が合えばお願いします」と。

初めて担いでもらったのは、2012年10月の「NOBUTA GROUP マスターズGCレディース」で、成績は通算7アンダーの9位タイ。翌年の2013年から専属になってもらったのですが、最初にプレーを見てもらったとき、グリーン周りのアプローチをたくさん練習するように勧められました。 

というのも、韓国ツアーのコースは比較的グリーンが大きく、私はアイアンショットが得意だったので、グリーンを外すことがほとんどありませんでした。日本のような砲台グリーンもないので、アプローチをする機会が極端に少なかったんですね。だから日本で初めてラウンドしたとき、グリーンは小さいし、砲台も多い、芝質も違う……。さすがに面食らいました。自分のアプローチ技術がそれほど高くないことに気づかされ、少しショックでしたね。

いくらコースマネジメントがうまくいったとしても、グリーン周りからしっかり寄せられないので、プレーの流れが切れることが増えていました。ノリさんは私のリカバリー率が悪いのを見逃さなかったんです。韓国からコーチを毎週連れてこられる状況でもなかったので、誰かが私にアドバイスをしてくれることがとても嬉しかったんです。

韓国でのプロキャディさんの役割は、クラブ選択や風やグリーンのラインを読むなどが基本的な仕事で、技術的なことはコーチの領域。だからこそ、ノリさんのように“技術面に踏み込んで”アドバイスをくれるキャディさんは、私にとって本当に新鮮で心強い存在でした。

最後に思い出したエピソードをひとつ。2014年「NEC軽井沢72」で、通算13アンダーで並んだ大山志保さん、菊地絵理香さんとのプレーオフでした。緊張で表情の硬い私を見て、ノリさんが「この3台の中から優勝するカートを選んで」と真顔で言いました。優勝のかかったプレーの前に意外なことを言うので、思わず爆笑。本当にそんなカートがあるのなら乗ってみたいって思いました(笑)。ノリさんは私が笑ったのを見てリラックスできていると思ったみたいで、精神状態を確認したかったそうです。“笑い”からいつもと同じ緊張感でプレーできると確信があったそうで、その時のティーショットはきっちりとフェアウェイ、2打目をピン3メートルに置いて、最後はバーディを取って優勝しました。2年連続の賞金女王になれたのは、ノリさんとの信頼関係があったことも大きな要因だと思っています。

マスターズGCレディース無事終わりました

「アンバサダーとして大会を盛り上げました! 優勝した佐久間選手は本当に強い。安定したショットが魅力ですね!」

月刊ゴルフダイジェスト2026年1月号より