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【インタビュー】松山英樹<後編>「最終目標は“ボーッと”ある。そこまで1/3とちょっと来たくらい」

PGAツアーに挑戦して11年になる松山英樹へのインタビュー。前編に続き、2018年の取材時とまったく同じ質問をぶつけ、松山の“変化”の内側に迫っていく。

PHOTO/Osamu Nagahama、Takanori Miki、Satoru Abe

松山英樹 1992年愛媛県出身。4歳でゴルフを始め明徳義塾中高卒業後、2010年東北福祉大学在学中にアジアアマチュア選手権で優勝し2011年のマスターズでローアマ獲得。2013年にプロ転向し日本ツアー賞金王に。2014年からPGAツアー本格参戦、2021年のマスターズではアジア人初のメジャー優勝達成。米ツアー通算10勝

――今、誰のスウィングが好きですか?

松山 今はないなあ……まあ、昔のタイガー(・ウッズ)は好きですね。

――すごいショットを打つと思う選手は?

松山 スコッティ(・シェフラー)もそうだし、ほかにも結構いっぱいいます。

――アメリカで戦うに当たり、一番必要なものは?

松山 気にしないことです。

――アメリカで一番大変なことは?

松山 移動かな。やっぱり大変です。

「アメリカで戦うに当たり一番必要なこと」を以前は「考えたこともない」と答えた松山。今回の回答は「気にしないこと」。長くトップにいるからこそ到達した思いかもしれない

――プロとして調子が悪いときのメディアなどへの対応は?

松山 僕に聞かないほうがいいですよ(笑)。

――オフの過ごし方は?

松山 最近(帰国中のオフ)、練習はしていないから……お酒を飲んでる(笑)。何でも飲みます。ワインもシャンパンも日本酒もビールも好きです。意識を失くしたこともたくさんありますよ(笑)。何かのお祝いとしては、試合がない週だったら飲みます。試合の週は飲みませんから。

――今までの人生で一番嬉しかったことは何ですか?

松山 パッとは出てこない。優勝に限って言えば、(初優勝の)メモリアルになるのかあ……でも1番は決められないですね。

――一番つらかった時期は?

松山 ケガではなくつらかったのは18、19年くらいかな。22、23年もつらかったけど、それはケガのつらさなので。

――それは、どうやって乗り越えましたか?

松山 やっぱり優勝したことによって変わりました。選手というのは結果が出ないと苦しいものです。


松山がつらかったと答えた18年、22年と直近の24年のスタッツ。ティーショットやグリーン周りの数字がアップ

※ストロークゲインド……各ショットのスコアに対する貢献度を表し、プラスになるほどよい

――ゴルフのどこが好きですか?

松山 上手くいかないし、上手くいくし。よくわからないところですね。

――ドリームフォーサム、人生最後にラウンドするとしたら。

松山 タイガーは確定していて、あと2人……今回りたいのは、ジャック(・ニクラス)、アダム・スコットかなあ。アダムは信頼できるお兄ちゃんみたいな感じなので。

――人生最後に回りたいコース。

松山 前回答えたときは奥道後(CC)や北条(CC)という地元のコースを選んでいるはずです。今はどうかな……やっぱり奥道後になるのかな。海が見えますしね(笑)。父親とももう一度回りたいですよね。

変化を行き来しながら
進化していく

こうして聞いていくと、6年の月日が経ってもほぼ変わらない回答も多かった。松山英樹は「変化」していないのだろうか、では改めて、「変化」することにはどんな意味があるのだろうか。

「同じことをやっても飽きるじゃないですか。それに、変えることが怖いというよりは、自分に足りないことをやるために変えているというだけですから」

松山は、何かを変えていく過程で、前の自分に戻るということも多々あるという。こういう“取捨選択”の上手さが松山の武器だと感じる。

「自分がゴルフをやっていて、変えて上手くいくこともあるし、悪くなることもある。でも『これは悪い方向に進んでいるなあ』と、悪くなっていることや原因というのは何となくわかる。求めている結果、それは球筋であったり、動きであったり――最終成績ではないところの結果ですけど、それが自分の望んでいるものと違うということになるならば、元に戻ればいい。でもいつかまた、その動きをしたときによくなることもありますから」

行きつ戻りつ――ここに松山の進化はある。変化する過程で自分を見失う者も多いが、松山はそのときどきで「それが必要なら取り入れる。すべて自分の選択です」と語る。

「僕は“やり切らない”から怖いとは思わないんでしょうね。一番身近な存在だと、(石川)遼は“やり切る”じゃないですか。あそこまで行けば怖いと思うことも出てくるかもしれない。でも根本的に僕はそういうところまで変えようと思っていないということがあるかもしれない。自分の目指しているところが過去の自分であったりもしますから。もちろん、自分の体も変化しているし、年齢も重ねているなかで、今の自分の姿があるとも思っていますから、劇的に何かを壊してまでやるということはないんです」

高校時代までは世界を意識したことはなかったという松山。

「実際にマスターズに行って、この場所で戦いたいと。初めて『自分が行くべき場所はここなんだ』と気付きました」

いつも流れに上手く乗ることができるのは、自分を見失わないからだ。それはまるで大海原に漕ぎ出す帆船のようで、風を感じ、読み、帆を微調整しながら受け止め、前に進む。凪のときも嵐のときも、帆を支える太い支柱が折れなければ機を見ながら準備することができるのだ。

変化を重ねれば進化となる。しかし、松山本人はまた「進化している意識はないですね」とブレない。感じても意識はしない強み。

14年からPGAツアーに本格参戦した松山英樹。メモリアルトーナメントで初優勝した16年の翌年から週刊GD新年号の表紙を飾り続けてくれた。表情やポージングは変化するが、目力は変わらない

目標は、小さく細かく設定するのか、それとも大きなものを1つ持つのか。

「目標はあまり考えないんです。ボーッとした目標はありますけど。それが何かは言えないです」

「不言実行」――では、目標を達成することが山の頂上に着くことだと考えると、今どのあたりに居るのか聞いてみた。

「麓をゼロとするんですよね。それならば、三分の一とちょっとですね。いや、もう少し上に行っているかな。でも、やり切る前に(人生が)終わっちゃうかもしれませんけど」

こう言ってニヤリとした松山英樹。その目標は、達成したときに初めて、衆知の事実となる。

週刊ゴルフダイジェスト2025年1月7・14日合併号より