Myゴルフダイジェスト

【ノンフィクション】“お坊さんプロ”中村映禅<後編>「タイに寺を作って、ゴルフウェアで説法を」

タイで“お坊さんプロゴルファー”としてさまざまな顔を持つ中村映禅。後編では、一念発起タイに渡り、切り拓いてきた道のりを振り返ってもらった。

>>前編はこちら

一念発起しタイへ
当初は公園のバナナも食べた

そして副住職だった35歳のとき、人生の大きな岐路を迎える。

「お坊さんで言うたら、念仏を唱えて仏さんの前で手を合わせる時間が長いほうが素晴らしい人生やいうことなんでしょうけど、僕はそういう次元の人間やなくて、いろいろとチャレンジしたいという気持ちがあったんです。人間には2種類あって、1つはお坊さんみたいに何千年何百年の教えを脈々と教え続けられる人。お経は法然上人の日記やから一語一句間違わんと伝えないかんし、自分の感覚は入らない。僕にはそれがなくて、石橋を叩いて渡らない、橋がなかったら泳いでいくタイプ。ムリなことをこじ開けていくんが面白くてね。だからタイに来たんです。ゴルフで食べていこう、自分の力で生きていくんやと。偉そうにね」

父は大反対、というより息子が何に不満があるのかわからない。

出ていく日まで平行線をたどったが、35歳の1月。知り合いも誰もいないタイに渡った。

しかしすぐに、自分にはお寺というバックボーンがあり何不自由なく生活させてもらっていたことを身に染みて感じることになる。

「最初は超大変やった。オーストラリア人がオーナーのインドアスクールに飛び込んだ。日本人生徒の担当と言われたけど誰もおらんから自分で探してこないといけない。4月にはお金もなくなってきて、こら絶対ムリやと思い、一緒に来てくれた家内に『帰ろうか』言うたら『一人で帰れ』と。『あれだけ意気揚々と出てきて、どうしっぽ巻いて帰るんですか』と」

屋台の焼き飯を妻と半分ずつ食べたり、スクール隣の公園のバナナを木から取って食べたこともある。でも、橋がない川は、自分で泳いで渡ればいい。ビラを作り、駅で配り、テレビ局やラジオ局に「すごい日本人がいる」と売り込み、レッスンをしたりした。

人を惹きつける力も中村にはあるのだろう。1年で生徒数200人に。5年で店舗は3店舗に増え、生徒数も2000人に。その後独立し、バンコクの街中にインドアスクールと近郊のザ・レガシーGCにアカデミーを構えている。日本を離れて15年。多くの川を自分で泳いできた。そして、次の川では、自らが橋となる。「50歳の頃、タイのシニアプロテストの存在を知った。世界でもタイだけ。70年の歴史があるんですよ。政府の観光庁スポーツ省の機関、タイシニアプロゴルフ協会がやっています。それまで仕事を頑張ってきてゴルフが好きで時間にもお金にも余裕ができた人が50歳になり受ける。受かればタイのシニアツアーに出られます」


中村自身、10年ぶりの試合として出場し、いきなり2位に。

「最初のハーフで2イーグル。協会の人もすごいと。それで日本人専用の窓口をさせてほしいとお願いしたんです。実技は2日で78・78が合格ラインなんですけど、僕も一度落ちた筆記試験は、タイ語と英語しかなく、引っかけ問題も多くて。日本語訳も作りたかった」

協会に通いつめ、様々な交渉を行い、またこじ開けた。

日本人専用のプロテストは年に2回行い、第1回目は昨年2月に開催。今年の8月で4回目が終わり、13人の合格者を出した。

「もっと増やしたいんです。おっさんが夢を叶えらえる場があると知ってもらいたい。アクティブシニアがタイに集まり、ゴルフを中心に置いた楽しい生活を送ってほしい。そして合格した人の舞台をもっと作りたいんです。今はシニアが6試合、60歳以上のスーパーシニアが2試合しかないから」

今年2月の開幕戦、サンワードシニアチャンピオンシップでは、奥田はじめ日本の往年の選手を招待。倉本昌弘、芹澤信雄、平塚哲二、横尾要、藤田寛之など錚々たる面々が参加。近隣諸国からもプロが集まり計186人に。前週に行ったプロテスト合格者も参戦した。

「こんなプロたちと一緒にプレーできるなんて、スマップの一員になったような感じするでしょう。まずはどえらい花火を上げて、タイのゴルフ環境を見てもらいたかったですし、舞台を整えることで次につながりますから」

そうしてこの春、中村はタイシニアプロゴルフ協会の会長にまでなってしまった。

「声をかけられ最初は悩みました。でも、シニア層に夢を持ってもらいたい。タイのシニアツアーを盛り上げたい。協力者がいてくれたら、日本とタイの架け橋になり、ゴルフ界を動かせるんやないかなと。今は名前をアジアシニアプロゴルフ協会に変えようとしています。拠点はタイで近隣諸国も盛り上げながら、レギュラー、レディス、アマチュア、ジュニアにも広げたい。日本でも試合をしたいですね」

架ける橋は大きい。

「政府から出る補助金はわずか。もちろん僕は無給です。スポンサー集めを期待されているんはわかります。日本やアジアの企業を巻き込んでいきたい。ツアーに協賛いうよりは、僕のビジョンに乗ってほしいと考えています」

中村には「タイでお寺を作る」という大きな夢がある。

「タイに来たときは、ゴルフで生きたいという気持ちやった。でも、結局、そこにお寺があれば手を合わせたりはするんです」

タイはゴルフ大国であるが、敬虔な仏教国でもある。

「タイで日本人が死ねる環境を作りたいんです。日本も高齢化していて老後に悩んでいる。二重生活もできるような老人ホーム。お坊さんプロゴルファーが作るものは求められるんやないかと。そういう意味でも、タイと日本の架け橋になりたいんです」

しかしタイで日本人はお寺を絶対に作れないし、そもそも浄土宗などない。しかしこれもまたこじ開けた。きっかけはゴルフだ。

「タイには何千人とお坊さんがいて、そのNo1、2、3の方と知り合いになれた。今年2月の試合のメインスポンサー、サンワード代表の依田さんがレッスンを受けに来てくれ、奥様を介して。チェンナイに大きな土地とお寺があり、法要にも参加させてもらったんやけど、その一画を僕にくれはった。タイのお坊さんの土地のなかにお寺を作るんはオッケーなんです」

すべてがつながるときがくる。小さな支流が合わさって、大きな流れとなる。

「ザ・レガシーGCのオーナーは病院の先生。老人ホームはここに作りたい。この土地にも、まずタイのお坊さんの寺を作ってもらい、そのなかに僕の寺も作る予定です。そして今のアカデミーを宿泊施設にして、写経、瞑想やデトックスもできるような、坊さんプロとして、生徒さんの心技体を育てさせてもらうようなゴルフの“道場”にしたいんです」

今年の4月、浄土宗開宗850年の祝いの法要が京都の知恩院で開かれた。全国約7000の寺のなかで、法要を務めたのは中村の父だ。

「親父の晴れ姿です。偉そうやけど僕もその場に居たいと参加した。15年ぶりで針の筵に飛び込むようなもんやったけど勇気を振り絞って。素晴らしい法要やった。皆、割と暖かく出迎えてくれました」

時の流れに橋を架けたのも自分である。土台には今自分がやっていることへの自信がある。

「今は逆に言うたら7割お坊さんに戻る気持ちですわ」

しかし、日本に戻る気は「ない」。「でもお寺を継ぐ気はあります」

お寺そのものを新しい組織にすることも考えている。血縁でつながってきた世界もこじ開ける。いや、古きと新しきをつなぐ橋となる。

中村にとってゴルフとは?

「アイテムです。生きるための手段。最高のアイテムや思います。お坊さん、プロゴルファー、タイシニアプロゴルフ協会の会長、奥田プロの弟子。この立場を生かしてアイテムを使ってやりたいことがたくさんある」

中村にとってお坊さんとは?

「魂です。タイで寺を作って、ゴルフウェアを着て説法できたらエエですわ」

お坊さんプロの本願、見届けてみたい。

お坊さんとして
「タイに浄土宗の寺を作り、ゴルフウェアで説法を」

奈良の「西迎院」。「僕の素性を調べるため、No.3のお坊さんが実家に泊まったんです。親父が世話して、またグッと距離が近づきました。タイでは自力本願で自分が仏になるから戒律は厳しい。昼の12時以降ご飯はダメ、走っても笑ってもダメ、車も乗れない、ゴルフはもちろんあかん。日本の坊さんはエエなあ言うてました」

プロゴルファーとして
「ゴルフはアイテム。生きるための、最強の!」

バンコク市内で「ZENゴルファーズファクトリー」、近郊のザ・レガシーGCで「ZENゴルファーズアカデミー」を営み、ゴルフ合宿なども請け負う。「シニアプロテストを知ってタイに初めてゴルフをしに来る方が最近増えています。皆シニアです」(中村)。中村のもとで働くスタッフたちも、新しいチャレンジを求めてタイに来た

奥田靖己の弟子として
「教えるんも教わるんも、ゴルフは楽し。毎日が発見です」

師匠とジュニアからの弟子・立松里奈さん(バークレー大)。「ゴルフはまったく飽きない。今も奥田プロに教えてもらいたくてしゃーないです」(中村)「里奈ちゃんも“ゆるゆる・横振り”で育てたしな。失敗してもエエ、が開拓者となる。ゴルフも一緒。皆が楽しんでゴルフできるように頑張ってくれてます」(奥田)

会長として
「ぜひタイでプロになる夢を叶えてください」

愛犬、ふーちゃん&りーちゃんと。試合出場には日本のアマチュアやティーチングプロは受験が必要。ツアープロは必要ないが登録料は必要となる。「8月は15名が受験し3名が合格。次回は来年2月18~20日実施予定です。ツアーへの個人協賛(150万円)も募集中です!」

週刊ゴルフダイジェスト2024年10月8日号より