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教え子から坂田信弘へ、最後のメッセージ<後編>「厳しさと楽しさを教えてもらえたから、今の自分がある」(笠りつ子)

先日、76歳で逝去したプロゴルファー、坂田信弘。多くの功績のなかでも、93年に開校した「坂田塾」の存在は大きい。坂田が心血を注いだ教え子たちは、ゴルフ界だけでなく、多岐に渡り活躍している。教え子たちから塾長への、最後のメッセージ――。

PHOTO/Hiroaki Arihara、Tadashi Anezaki、GD写真室

>>前編はこちら

「怒られてばかりでしたけど
今だからわかる教えもたくさんあります」(青山加織)

85年生まれの青山加織は、9歳で坂田塾に入り、07年のプロテストに合格、ステップ・アップ・ツアーで4勝を挙げている。昨年12月、初めて熊本塾生のパーティが行われ、そのときに作ったグループLINE上で坂田の訃報を知った。

「坂田プロに感謝を伝えるために1回会っておこうと古閑(美保)さんが提案してくださって。壇上でお話しする坂田プロは変わらず強気でお元気で。そういえば相変わらず『女の塾生は顔で選んだなあ』なんて言って、『塾生は結構美人女子プロで通っていますよ』と返したら、『そうか、俺の目も間違っていなかったな』なんて。来年もやろうと言っていたんですが……」

青山は、坂田の教えを言葉としてはまったく覚えていないという。

「私は全塾生のなかでも三本の指に入るくらい怒られたと思います。嫌々入塾したことも見破られていて、最初は母の後ろに隠れ自分で発言することも少なくて。でも結局、坂田プロにお尻をひっぱたかれながら人間として成長していった。岡本(綾子)さんに紹介してくれたのも坂田プロなんですよ」

当時の坂田のゴルフ理論は革命的だったと感じるという。

「当時の理論は“出前持ちスウィング”。両わきを締めてコックを作って。でも坂田プロは、手首は曲げるな、ひじは曲げるな、ハイトップで、と言う。遠くから見たら皆、高いトップで、坂田塾出身だとすぐわかりました」

レッスン活動もする青山は、教える立場になって思うことがある。「坂田プロにも岡本さんにも無償で習ってきたので、ジュニアには無償で教えています。坂田塾の“練習量”と“親の口出し禁止”は、今の時代こそ大事なこと。そして継続は力なり。私の人生は面接を受けたその日から逆転した。プロを育てる塾に入り、私もくじけずに続けたけど、教える側も継続です。何十年もくじけず私たちを見てくれて本当に感謝しています」

坂田の教えは、教え子を通してジュニアたちに継承されていく。

「トップは高く、フィニッシュも高く」

ブレない教えを共有する仲間たち。「私たちの頃は皆仲はいいけどライバルでした。タイ合宿でも毎日スコアを競ったり。誰にも負けたくないという気持ちは大事です」(青山)

「真剣に怒って、世界に通用するような選手に、という思いを言い続けてくださった。精神的にも迷わずに付いていくことができました」(青山)

「すべてを伝えきっているので
もう言い残していることはないんです」(笠りつ子)

87年生まれの笠りつ子は、9歳で坂田塾に入り、06年のプロテストに合格、ツアー6勝を挙げ、14年間シードを維持し続けてもいる。

「最後にお会いしたのは昨年12月の坂田塾の集まりです。すごく楽しい会で、坂田プロもお元気そうで、相変わらず乾杯の挨拶で30分くらい話をして。そのとき、『これからもずっとゴルフをやり続けなさい』と言われました。そして亡くなる前日に電話で(上田桃子さんと)話をして。普段通りの話を、こちらから一方的にですが」

笠の心には今もずっと、最初に「ボールを足で触ってはいけない」と習ったことが残っている。

「練習場でティーアップされたボールをマットに置くときも足でやってはいけない。ここからスタートし、挨拶、お礼状を書くことなどを教えてもらいました」

プロとなり、話す機会も少なくなったが、あの頃の教えは絶対的に身に付いている。技術的なこともだ。「しっかりフィニッシュを高く取る、右足を返すな、という教えです。今でも悩んだときには、トップやフィニッシュを作って、そのまましゃがんで40秒くらい待って確認しながら体に覚えさせるようにします。坂田塾があって、厳しさと楽しさを教えてもらえたから今の自分がありますし、こうしてゴルフを続けられています」。

最後に坂田に言いたいことは「もうないです」と言い切る。

「今ここで私が、ありがとうございましたと言ったところで、坂田プロはもういない。きちんとお会いしてしっかり伝え終わっているので、もう言い残していることはないんです。今、ゴルフの調子がよくなってきたので、1つでも上に行きたいし優勝争いもしたい。チャンスは生かしたいです」

坂田の背中を感じながら、笠はこれからも自分の道を進む。

「坂田プロは、小さい頃から、すごく迫力がある人だと思っていました。でもそんななかに、やさしさがあふれた人でした」(笠)

「豪放磊落な坂田プロの周りには
常に人が集まっていました」(えなりかずき)

まさか自分が、当時、スパルタ教育で有名になっていた坂田塾の取材に行かせていただけるとは思っておらず、お話をいただいて大変感動しました。が、持っていったゴルフクラブに土が付いていたのを見とがめられ、グリップエンドで“気合い”を入れていただきました。

取材でそんな体験をするとは思っておらず(内心、「映像ならまだわかるけど、静止画のゴルフ雑誌の取材でこの“気合い”は必要ないよなぁ」と文句を言っていました(笑)。)ビックリしたものの、全国各地にあった坂田塾に取材に行くたびにご飯をご馳走になり、とても楽しいお話を聞かせていただきました。

小誌連載企画の取材で坂田塾に体験入塾したことがあるえなり氏。今ではかなりのゴルフの腕前を誇る

坂田塾旭川校の取材の流れで、ばんえい競馬のジョッキーさんたちへの簡易レッスン会に同席させていただき、「鞭を入れるときの形とゴルフのトップは形が一緒じゃのぉ〜」と豪快に笑っていらっしゃった姿が印象的です。

豪放磊落な坂田プロの周りには、常に人が集まっていました。安らかにお眠りください。ご冥福をお祈り申し上げます。

坂田の誕生日のお祝いで、塾長とケーキを囲む塾生たち。そのなかにえなり氏もいた。塾長、満面の笑みです!

週刊ゴルフダイジェスト2024年9月3日号より