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【ゴルフ野性塾】Vol.1784「吹き上がりは水平軌道で消える」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

本稿、
旅する地にて

書いております。

今般の旅の中で食の好み、変った事を痛感。
右親指と人指し指の一つまみの塩で、出された肉や魚、スパゲティの味、変るを知った。
今迄、出された料理に塩をかけたり、胡椒振った事はなかったが、塩かけると旨いよと勧められ、半分食べた後の肉に一つまみの塩を振りかけた。
確かに味が変った。
塩はこれ程迄の力を持っているのかと思った。
ホテルに戻り、女房殿に電話した。
「今頃、気付いたの!? 私の作った今迄の料理は何だったの!? 全く、鈍感にも程度在りと言うけど、味音痴で人様との会食に堂々と参加出来るわネ。その鈍感さ、私に分けて貰いたいわ」
つまらぬ電話したと思った。
女房殿の機嫌、傾いたのか真っ直ぐなのか、福岡に帰ってみなければ分らない事だ。
一つまみの塩、何をや変える。
体調良好です。

ジャイロ練習で回転態を身に付けよ

アゲンストの風の中のドライバーが苦手です。同じ飛距離のゴルフ仲間より20ヤード以上、飛ばなくなります。持ち球がスライス気味で、バックスピン量が多いことは分かっています。ロフト調整機能でロフトを立てると球が上がらず、ロフトを寝かせると球は上がりますが風に弱い球になります。塾長、アゲンストの風に負けない球を打つ方法はありませんか。(北海道・野村佳樹51歳ゴルフ歴15年HC20)


風に対して吹き上がりの球質をお持ちと推察する。
貴兄の気持ちは理解出来る。
何故ならば私も同じ球質持ちだったからだ。

ゴルフ始めてからの2年間、向い風はイヤだった。向い風に順応も対応も出来なかった2年間なれど、その理由はアゲンスト時の極端な飛距離減にあった。
アゲンスト時、力打ちしていた。球は吹き上がった。
地面近くから上空へと吹き上がり、垂直に近い角度で落ちて行った。フォロー風に自信を持ち、アゲンスト風に嫌悪を持つ研修生だった。
水平に近いダウンスウィング時のヘッド軌道で打とうとしたが、球は吹き上がった。50年前の経験と2年間の日々である。

当時のクラブヘッドはパーシモンとスチールシャフト。
現在より細かい技術を必要とする時代だった。
今は細かい技術は必要とせず、大きな技術一つあれば球質を変えられる時代になっている。
その事に気付けばスウィング理論の構築は簡単だ。
あとはハンディ30の方が打っても実践出来る手段を見つければいい訳だ。その手段がショートスウィングであり、ジャイロスウィングであった。

私の理論で110名がプロテストに通り、シード権得た者は15名。
多くの者がゴルフ未経験でジュニア塾に入塾し、その中の10%程の者がプロを目指したが、プロテストに通った確率は高かったと思う。
入塾時は左腕地面に平行のトップと右腕地面に平行のフィニッシュのショートスウィングで打たせ、1年過ぎればジャイロスウィングで打たせた。吹き上がりの球は出なかった。

今、私は吹き上がりの球は打たない。本当に1球も打たないのです。向い風に対する苦手意識はなしだ。
福岡市内の西新ゴルフ練習場、一日250球打っているが、250球の内、両の踵をくっ付け、爪先30度開いて打つジャイロスウィングで150球は打つ。
そして、ラウンド時の両足広げたスタンスで打てばジャイロで打った時より20ヤードは飛んでいる。
ジャイロは飛距離を落とす。しかし、球質は安定する。勿論、吹き上がりの球質は出なくなる。方向も安定する。
世の中、いい事ばかりではないと思うが、ジャイロスウィング然り。飛距離は落ちる。だが、ジャイロで打った後、スタンス幅をコースラウンド時に戻せば飛距離は伸びる。

今、貴兄に必要なのは力打ちとゆう激しさよりもジャイロ打ちとゆう穏やかさであろう。
世の中、苦手意識、嫌悪を失くすには、激しさよりも穏やかさが要ると思うがゴルフスウィング然り。
力で吹き上がり球質と飛距離減を失くそうとするは激しさだ。
ジャイロで打つは回転態で打つジャイロスウィング。
ジャイロはゴルフスウィングの中で最も穏やかな打ち方である。
ジャイロは体全体の回転を使わなければ球の打てないスウィングであり、難しい打ち方ではない。
ジャイロはスウィング統一の美を欲すスウィングである。
貴兄はスウィングの美を求めよ。それで吹き上がりの球質は消えて行く筈。
力で打てばヘッド軌道は変る。
ヘッド軌道を変えたくなければ左腕の力を必要とするが、トレーニング時間を持たぬ方にヘッド軌道安定の筋力強化時間を求めるは不可と思う。

吹き上がり球に悩んだ2年間、私は一つの結論に達した。
クラブヘッドの水平軌道、そして右腕の力打ちを支えるには左腕の強さが要る、と。
私は鹿沼CCで1年を過し、その後、愛知県豊田市の貞宝CCに身を移し、2年と10カ月の研修生生活に入ったが、貞宝1番ホール左側の一本の松の木が左腕鍛える修行の場となった。
両腕で松の枝にブラ下がり、右手を離して左手一本の懸垂を始めたのです。
貞宝に移る前の鹿沼時代も南1番ホール左の松の木で懸垂はやったが、その懸垂は球叩く体を作るが為の懸垂であり、新たな球質を生むが為の懸垂は貞宝の松の木相手の懸垂が最初だった。

研修生になるが為の2年間、私は陸上自衛隊に入り、ゴルフやるが為の体作りを目標としたが、この自衛隊の2年間で得たものは多かった。
自衛隊に入る前の私は懸垂も腕立て伏せも得意とするレベルではなかったが、自衛隊で懸垂と腕立て伏せは得意と言えるレベルになっていたのです。
だから松の木の枝相手の左腕一本の懸垂が出来た。
なれど今は無理だ。だが代りにジャイロ打ちがある。世の中、上手く出来ていると思う。

平成5年、熊本にジュニア塾を開いたが、一年後、ショートスウィングと出会い、15年後、ジャイロスウィングと出会った。
研修生時代の私の腕は太かった。身長178センチ、体重70キロの細身だったが、異様な腕の太さだなと周りの方に幾度も言われた記憶を持つ。
全米オープンチャンピオンのジーン・リトラーの腕の太さには驚いたが、私もリトラーの腕の太さを目指した。
鹿沼の研修生になって3カ月過ぎた時、川崎国際CCで行われたテレビマッチにジーン・リトラーが来日し、私は川崎へ行った。3月上旬だった。リトラーはセーターを着ていた。
5番ホール、リトラーはセーターを脱いだ。
ギョッとする腕の太さだった。
リトラーのスウィングに力感もスピード感も感じなかったが、ドライバー飛距離、テレビマッチ相手の安田春雄さんと河野光隆さんよりも30ヤードは飛んでいた。驚いた。身長も体重も私と同じ位と思ったが、腕の太さ、私の3倍はあると思った。
プロになり、ツアー参戦し、物書きを始め、テレビ朝日の世界名門コースの旅に出演する機会を貰い、アメリカのコースでアメリカのトッププロと対戦したが、腕の太さに驚かされたのはジーン・リトラー唯一人だった。

貴兄に左腕を鍛えよとは言わぬ。
ジャイロで打て。
回転態で打つは左腕太き体で打つと同様の効果を持つのです。
信じる事が大事だ。
私を信じよ。
両の踵をくっ付け、爪先30度開きのジャイロで打て。一週間に一度のジャイロ150球打ち。
3カ月で少し変り、6カ月でオヤッと思う程に変り、9カ月で己の球質の変化に驚かれると思う。
再びの連絡を待つ。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2023年6月13日号より