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【ノンフィクション】「土を象る」さすらいの凄腕シェイパー、クイン・トンプソン

シェイパーという職業をご存じだろうか。コース造りに欠かせない存在であり、改修・改造の場面でその腕を振るう。8年前から日本の名コースに携わるアメリカ人シェイパーに話を聞くため、古都・奈良を訪ねた。

TEXT/Mika Kawano PHOTO/Masaaki Nishimoto

オリジナルをリスペクトしながら磨きをかける

古都に雨が降っていた。

改修工事が行われている奈良国際ゴルフ倶楽部の17番ホールの現場にカートで向かう途中、ウェイビーヘアのアメリカ人は地面を指し「ナットウツチだから気をつけて」と真顔で呟いた。

ナットウツチ? 聞き慣れない言葉だがどうやら彼の造語らしい。雨でぬかるんだ土とネバネバの納豆が結びついたのだろう。彼、クイン・トンプソンの職業もまた我々には聞き慣れない『シェイパー』。

「たとえば設計家が左サイドにフェアウェイバンカーを造りたいと言った場合、絵を描いて形や大きさを指定することもありますが、ほとんどの場合は大きさや形、1個造るのか2個なのか、それらはシェイパーに任されています。デザイナーのイメージを具体的に形にするのが我々の役目です」

奈良国際GCは昨年カート道路新設工事に着手。それに伴い17番の改修を行うことになったのだが、着工に当たって同コースのアドバイザーであるプロコーチの永井延宏がトンプソンの評判を聞き実際に会って意気投合。コースとの橋渡しとなり採用された。

トンプソンは横浜カントリークラブの西コースを有名設計チーム、ビル・クーア&ベン・クレンショーが大規模改修を行った際、声がかかり、複数人いたシェイパーのひとりとして来日。8年前のことである。

「クーア&クレンショーみたいなチームだよ」

永井延宏コーチは「私の役割はコーディネーター。倶楽部の歴史や文化に、土地の風土や背景、さらには倶楽部の価値などを、倶楽部側とディスカッションしながら方向性をまとめ、クインに伝えてコースデザインへと反映させる。音楽の嗜好も似ていてウマも合うんですよ」

その後は確かな腕前と実直な人柄が評価され、太平洋クラブ御殿場コースや日本のゴルフ史をつくった廣野ゴルフ倶楽部の改修にも招かれ、アーノルド・パーマー設計の青森スプリング・ゴルフクラブ、KBCオーガスタを開催する芥屋ゴルフ倶楽部、伊豆下田カントリークラブなど日本の名だたるコースの改修の仕事が舞い込んできた。

そして昨年から今年にかけ奈良に移り住み、ナットウツチと格闘する日々を送ってきた。芝生を剥いで地面に新たな凹凸をつけ、本来の景観を損なわずに新しい息吹を吹き込む。土台ができたら再び芝を張り景色に馴染ませる。得意のバンカーも大きさ、深さ、エッジの角度を徹底的に練って造る。

「たとえば廣野と奈良では成り立ちがまったく違います。廣野はシャベルで掘って造られた人力のコース。一方奈良はブルドーザーを使って丘を切り開いたスケール感のあるスムーズなレイアウトを持つコース。改修の方向性や我々の向き合い方も違います」

トンプソンいわく廣野は素晴らしいオールドコースだが改修を重ねたことで昔の良さが損なわれてきた。開場当時の写真が見つかったこともあり「本来あるべきオリジナルな姿を再現しさらによくすることがテーマでした」

では奈良国際は?

「(設計家の)上田さんがしっかりとした骨組みの美しいコースを造られました。でも60年経てば多少新しいアイデアが必要になる。オリジナルをリスペクトしながら磨きをかけるというイメージで取り組んでいます」

奈良国際は“東の井上(誠一)、西の上田”と称される名匠・上田治の設計で1957年に開場。65年の歴史を持つ奈良でもっとも古いゴルフ場。メンバーは我がコースに絶大な誇りを持っており、改修に当たっても「なぜそれをしなければならないのか?」と疑問を呈する声が上がった。

植栽された木を1本切るにも承認が必要。そのためトンプソンも会議に出席し、改修の意図を丁寧に説明し同意を得られるようメンバーの説得に当たってきた。

「会議は好きじゃありません。汚れてもいい服で土木作業する人たちと泥をいじって土を象(かたど)っていくのが好き。朝早くコースに来て朝靄のなか、コーヒーを飲みながらタバコを燻らせ、さぁ、仕事にとりかかるぞと頭のなかでアイデアを巡らせる時間が至福のときです」

「彼の誠実な人柄はコースを任せるに値する」

チャンピオンボードの前で。右から浅野秀隆キャプテン、永井コーチ、トンプソン氏、岡橋清元理事長。信頼関係が名コースを進化させる。「17番でワイドなスケール感を生む改修を具現化できたので、残りの17ホールに関してもまた新たなイメージやアイデアが浮かんできます」(永井)

今回取り組んだ17番(パー4)は右ドッグレッグの打ち下ろしホールで、ティーイングエリア右前方に池が広がる。池のすぐ向こうに通称“大仏の足跡”と呼ばれる2つのバンカーが控える名物ホールである。

トンプソンは池の周辺の育ち過ぎたメタセコイヤの木2本を伐採。サブグリーン跡地をフェアウェイとし、グリーンに対して左側からアプローチするルートを造る。グリーン手前に新しい小さなバンカーを造るなど今、この時代を生きるゴルファー向けに血の通った改修を行った。

大仏の足跡を巡っても「場所を移したほうがいい」というトンプソンの考えどおりに現在コースを改修中だ。

「ここには廣野のような(アリソン)バンカーは造れません。コースのスムーズな流れに合わせ、地平線に溶け込むようなバンカーが似合います。14番(パー4)や18番(パー5)はホールが雄大なので、大きくてダイナミックなバンカーがフィットするのです」

ユンボ(油圧ショベル)を器用に操り、数センチ単位で土を削る技術を持つトンプソンは、名シェイパーでありバンカー職人とも呼ばれている。

異国で活躍する彼はいったいどんな半生を歩んできたのか?

日本人と恋に堕ちて人生が変わった。
「日本の田舎が好き」

トンプソンは、ミシガン湖と超高層ビルがハーモニーを奏でるアメリカ第3の都市シカゴ出身。原体験は実家の裏庭で妹が遊ぶ小さな砂場をバンカーに見立てクラブを振ったことだ。


9ホールのゴルフ場が家から10分の場所にあり、幼少期から5ドルのプレーフィーを握りしめ通ったのだが、8歳のときには庭の芝生を芝刈り機でグリーン仕様に仕上げ「父親にこっぴどく叱られた」思い出がある。

ゴルフの上達も早かったが絵を描くのも得意で、ゴルフ場のホールをイメージした絵を繊細なタッチで描いていたというから今に通じるクリエイティブな才能を持ち合わせていたようだ。

やがて高校の夏休みにゴルフ場のメンテナンスのアルバイトを始めた。裏庭に造った自らの小さな箱庭的ゴルフ空間から本物のコースに飛び出した彼は、さらに造詣を深め大学時代の夏休みはコース改修にも携わった。

デスクワークではなく土を重機で掘り返し岩や石を取り除き、排水を工夫する。土にまみれて汗をかく現場の仕事に喜びを感じた。卒業後は建設会社に就職。時を同じくしてタイガー・ウッズがデビューし、ゴルフ界が一躍ブームに沸いていた。

「僕が20代(20年前)の頃はゴルフ場の建設ラッシュでした。昨年アメリカで新設されたのはわずか10コースですが、20年前は300コースが新設されていたのです」

時は流れブームは去る。

「昔は18ホールをあっという間に設計し造成するスタイル。ゴルフ場開発はビジネスでした。でもコースが造られなくなり、改修や改造が設計家たちの主な仕事になると、より細かく丁寧にディテールにこだわるスタイルに変わってきました。今我々が取り組んでいるのは、アートの領域かもしれません」

その流れで改修を得意とするクーア&クレンショーの出番が増え、彼らがコロラドGCの改修工事を行ったときに招聘され、シェイパーとしての腕を振るった。

「土木作業する人たちと泥をいじって土を象っていくのが好き」

トレードマークのコーヒーを片手にコースに出る。コースでは真剣なまなざしに。自らユンボを操り、数センチ単位で土を削る

さらにクーア&クレンショーが携わった全米オープン開催コース、パインハーストNo.2の改修工事にも参加。そのつながりで横浜CCの改修の際にも声がかかった。

「来日したときは言葉もわからず最初の1カ月は日本が嫌いでした。東戸塚の駅の近くに住んでいて、近所の西武デパートが行動範囲のすべて(笑)。迷ったら怖いのでゴルフ場で仕事をする以外はデパートのなかをぐるぐる回るだけ。食事はハンバーガーだし、日本=西武デパートのイメージしかありませんでした」と振り返る。

もちろんそのときは、8年後も日本で仕事をしているとは思ってもみなかった。しかしある日本人女性に出会い恋に堕ちて人生が変わった。

「じつは横浜での仕事が終わってから1年間シェイパーをお休みした時期があるんです」 

彼女に会いたい一心で、来日当初は恐ろしいイメージしかなかった渋谷で英語学校の先生になった。両親も教師だったが「若い頃はヒッピー(笑)」。魂の自由度は親譲りだ。

「自分は日本語が全然ダメ。彼女も英語は上手くない」というが愛は言葉を超える。結婚したわけではないが、今でも良好な関係が続いているそうだ。

1年の寄り道の後、再びシェイパーに戻ったのだが「この仕事を5年後もやっているとは思わない」。

天職に見えるがなぜ?

「伊豆の下田にコテージを買って農業をするのが夢。日本に住めば住むほど田舎が“ザ・ジャパン”のような気がして好きになります。青森の夏もよかったけれど、とにかく静かなところで地に足をつけた暮らしをすることが目標です」

その頃には意中の人が隣にいるのだろうか。

「汚れ仕事が性に合っている」というトンプソンは「取材があるから昨日ヒゲを剃ったし今日は小ぎれいでしょ?」といってはにかんだように笑った。

土を丁寧に削るように慎重に言葉を選び、一語一語噛み締めながら口にする。地平線にフィットしたバンカーが奈良国際の風景にすっかり溶け込み馴染んだ頃、また訪れてみたい。

「デザイナーのイメージを具体的に形にするのが我々の役目」

今回は取材のためにヒゲを剃ったと笑う。普段はシャイなトンプソン氏。コース改修に関して問うと、丁寧な言葉で説明してくれる

文●川野美佳(ゴルフライター)
かわのみか・東京生まれ。通訳のかたわらゴルフ雑誌を中心に執筆活動を行い、翻訳も手がける。主な訳書に「ゴルフ54ビジョン」(小社刊)「タイガー・ウッズ/私のゴルフ論」「ブッチ・ハーモンの勝者のゴルフ」ほか

週刊ゴルフダイジェスト2022年5月31日号より