知られざる“井上誠一”の世界 <前編>アリソンから受け継いだ設計理念「コースは美しく、戦略的でなくてはならない」
週刊ゴルフダイジェスト
今週行われる日本女子プロ選手権(9/11〜14)は大洗GC、来月の日本オープン(10/16〜19)は日光CCで開催されるが、どちらも井上誠一が手掛けたコースだ。コース設計の世界では優美さを求めた作風から「柔の井上」と称される日本を代表する設計家で、「美」を探求した井上誠一の世界を探ってみた!
資料提供/嶋村唯史(コース設計家、井上誠一最後の弟子)
構成/吉川丈雄(特別編集委員)


井上誠一
いのうえ・せいいち(1908~1981)。 東京都生まれ、コース設計家。川奈大島コースのロッジに逗留していた時、東京GC朝霞の設計で来日していたC・H・アリソンに出会う。彼の仕事を見て「面白そうだ、僕もやってみよう」と思ったのがコース設計家になるきっかけとなった。国内38コース、海外2コースを設計。ゴルフはHC7の腕前だった。
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コースは美しく
戦略的でなければならない
アリソンとの出会いが
人生を大きく変えた
井上が病気療養のため川奈のロッジに滞在していた時、川奈富士コースの検分に訪れたチャールズ・H・アリソンと出会う。大谷光明設計の大島コースは1928年に完成しプレーをすることができた。大倉男爵は帝国ホテルに滞在していたアリソンに、すでに6ホールほど完成していた富士コースの見直しを依頼。井上はアリソンの仕事ぶりを観察すると同時に、アリソンがボールを打ったり、ラウンドするときキャディを志願し親交を深めた。来日中、アリソンは1度もプレーしなかったとされるが、後に井上は「アリソンの球拾いとキャディをした」と家族に語っている。コース設計自体は独学で学んだが、「私の先生はアリソンかな」と語っている。

井上がコース設計家になろうとしたきっかけはチャールズ・H・アリソンとの出会いからだった
シェイパーの
ジョージ・ペングレースから
多くのことを学んだ
1931年、叔父の井上達四郎の勧めで霞ヶ関CCに入会。その当時、東コースはアリソンの勧告により改造中で、井上は、叔父の口利きでアリソンとともに米国から来日したシェイパーのジョージ・ペングレースの通訳兼現場助手として参加することができた。
アリソンはコース設計者として平面図を作製したが、ペングレースはその平面図から土を動かし平坦な大地を立体的に造成していった。改造作業を手伝うと同時に、平面図から立体的に造成するさまを目撃した井上はゴルフ場建設に関して多くの知識を得ることになった。コース設計家になるとその経験は大いに役立ったのは言うまでもないが、それは初めて近代的なゴルフ場建設を直接観察することができたからだ。とはいってもコース建設の基礎に乏しかった。そのためゴルフ場に関する文献を海外から取り寄せ貪欲に学んでいった。
35年、藤田欽也と那須GC建設のために現地の検分に出掛けたが、藤田は健康上の理由でコース設計を井上に任すことになり、翌年に見事完成させたが井上はまだ28歳の若さだった。

井上が最も影響を受けたとされるシェイパーのジョージ・ペングレース。アリソンの平面図を読み土地を削り、盛り上げて立体化していった作業は当時の日本人には驚異と映ったようだ


独特の美意識が
流麗なコースを生み出していった
井上のコース設計の特徴は独特ともいえる美意識に裏付けられていたことと、型にはまった設計を嫌ったことだ。たとえばコースを女性に見立て、次のように語っている。
「女性(建設地)の持っている要素、地形的条件(平地、丘陵地、山岳)、気象条件(風の強さ、温暖、積雪など)に、この女性をより魅力的に見せるにはどのようにすべきか、女性の内面的性格、つまり喜怒哀楽を表現することになる。『怒り』は難度が高い、『喜び』では比較的容易などと様々に表現することになり、いずれも『品格』が求められる。
コース設計家は常に女性の美しさを追求しているトータルデザイナーともいえるかもしれない。内面に何かを秘めた個性的な女性(コース)は必ず男性(客)に人気が出て、再び会いに来るものだと思う」
そして「自分でセンスがあるとは思っていない、音楽的才能もない。しかも物、人を問わず“形”には異常に興味を持っている。女性の体の線はコース造成をするうえで非常に参考になる」とも語っている。





「同じものは造らない。
那須GCは山、川の日光CCでは
“錯覚”が基本のデザイン」

日光カンツリー倶楽部
18H・7236Y・P72
●栃木県日光市所野2833
●開場/1955年 ●設計/井上誠一
●2003年、25年日本オープン開催
日光CCは初期の傑作コースと評価されている。戦後の1952年、栃木県では観光の目玉としてゴルフ場建設が計画され、戦前の36年に那須岳の麓に那須GCを手掛けていた井上誠一に依頼することになった。
中禅寺湖畔、霧降高原などさまざまな場所を検分したが、最後に案内されたのが赤松と樅柳が自生する大谷川沿いの広大な旧川床の河原だった。明治時代に2度の大洪水でできた平坦部分で、そのうちの25万坪を使うことが計画された。建設する敷地の全長は約2000メートルで高低差は50メートルと理想的な傾斜地でしかも幅は十分にあった。クラブハウスを用地の中央部に配置し、上流側にはアウト、下流にはインを置いた。
問題はあった。旧川床だけに大小の岩が蓄積され、取り除く作業は難航し、地形と土質から相当量の客土が必要となったからだ。ゴルフ史家の大塚和徳さんは「悪条件下で造られたがコースの印象といえば、全米オープンが数回開催されたオリンピッククラブのレークコースを平坦にして、アイルランドのポートマーノックGCの持つ微妙なアンジュレーションを加えたような雰囲気があった」と評していた。赤松と柳の枝が張り出していることからハザードの役割を持たせ、そのためフェアウェイバンカーの数はわずかだった。
「この松が育つ頃には、日本屈指の名コースになっていよう。フェアウェイバンカーは少ないが、松の枝が日光特有のハザードとなろう」と井上は語っている。

昭和28年大谷川の旧川床で記念撮影をする建設委員。後列左から3人目が井上誠一


一見、フェアウェイは平坦に見えるが場所により客土の盛り具合が異なり、冬季の凍結が解けだす春先での時間差もあり、フェアウェイの表面に不規則ともいえる起伏が現れる。この起伏の具合が毎春異なることから微妙なライが生まれゲームを難しくしている。加えて、グリーンは男体山を背にして速い。
しかも実際にグリーン自体は受けているにもかかわらず、打ち下ろしていくホールではグリーンは下り傾斜のように見えることから錯覚をしてしまい難度はさらに高まっていく。このように「読めない変化」はニューヨークのベスページ・ブラックコースのグリーンにも存在する。それは建設当時に伐採した樹木の根をそのままにして上にグリーンを造成し、経年によりその根は朽ちてグリーン表面に「どんな名匠でも造ることができない起伏が生じたからだ」(大塚和徳)。これと同じようなことが日光CCでは起きていて、実際には見た目の印象よりも難しく感じるのだ。

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週刊ゴルフダイジェスト2025年9月16日号より


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