【名手の名言】ボビー・ジョーンズ「スコアをごまかさなかった私を褒めるのは、銀行強盗しなかった私を褒めるようなもの」
レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は“球聖”ことボビー・ジョーンズの含蓄のある言葉を2つご紹介!
スコアをごまかさなかった私を
褒めてくれるのは
銀行強盗をしなかった私を
褒めてくれるようなものである
ボビー・ジョーンズ
1925年の全米オープンのときのこと。ボビー・ジョーンズはミスショットでボールを深いラフに打ちこんでしまった。そのボールを打とうとアドレスしたとき、草か、風のせいで動いたような感じがしたと、その場には誰もいなかったにもかかわらず、ジョーンズは自らすすんで同伴競技者に申告し、1罰打を自分のスコアに課したのである。その結果、ウィリー・マクファーレンとタイで首位。プレーオフにもちこまれ、惜しくも優勝を逃すのである。
しかしこのことが、当時の新聞・雑誌で大きく報道されて、ジョーンズの紳士的プレーへの賞賛は天下に満ちるのである。
ところが、ジョーンズは怪訝な顔をして「自分は当然すべきことをやったまでだ。それがゴルフのルールだから」と述べ、そこから冒頭の言葉へとつながるのである。
ゴルフはいうまでもなく、自分が審判、ルールの裁定者である。だから誰が見ていなくてもルール違反は許されない。いわば、ゴルフは性善説を根本精神にしているのだ。
しかしそうはいっても、人が見ていなければ、ライを改善したり、球が見つからないときにポケットから別の球を出したりしたくなるのが性というもの(ポケットに穴をあけ、ボールをズボンの下から出すのを防止するためにニッカーボッカーが発明されたとの説もある)。
だからこそ、ボビーがあれだけ賞賛され、尊敬されたのであろう。ゴルフが「紳士のスポーツ」たるゆえんとなった言葉でもある。
あるがままに打て
(Play the ball as it lies)
ボビー・ジョーンズ
「あるがままにボールをプレーする」。ゴルフという競技の大原則を端的に表現するときに、必ずといっていいほど使われる言葉だ。
グリーン上でマークをするときや、プレーが困難な状況から救済を受けるときなど、いくつかの例外を除き、インプレーのボールに触ったり動かしたりすることは認められず、可能な限り“あるがまま”にプレーすることが求められる。
“球聖”ボビー・ジョーンズの言葉に以下のようなものがある。
「ゴルフは人生という名のゲームに最も近しいゲームである。良いショットが不運な結果をもたらすこともあるし、悪いショットが幸運をもたらすこともある。しかしいずれにせよ、ボールはあるがままに打たなければならない」
万事、思った通りにいかないのは、ゴルフも人生も同じ。いいショットも、思わぬ傾斜に弾かれてバンカーに転がり込んでしまうこともある。自分ではコントロールできない結果は甘んじて受け入れて、目の前の一打にベストを尽くす。これがジョーンズのいう“あるがまま”の真意であろう。
だから、たまたま悪いライにボールが行くことが続いても、そういうものだと思って淡々とプレーを続ければいい。別の日には、ボールが木に跳ね返ってフェアウェイに出てきたり、トップしたボールがピンに当たって入ったり……と幸運が続いたラウンドもあったことだろう。
ゴルフというゲームの神髄が「あるがまま」という5文字に凝縮されているような気がする。
■ボビー・ジョーンズ(1902~71年)
米国ジョージア州アトランタ生まれ。父親がゴルファーで生家も庭がゴルフ場続きであったことから、5歳で自然にクラブを握る。14歳で全米アマに出場。その後、数々の選手権に優勝。特に1930年には世界の4大タイトル、全米、全英両オープン、両アマを制覇、年間グランドスラムを達成。この記録はいまだに破られていない。全英オープンに勝ち、祖国に凱旋した時は国民的英雄となった。これを契機にアマのまま引退。故郷アトランタに戻り弁護士活動のかたわら、オーガスタナショナルGCを設立、マスターズ・トーナメントを主宰。不世出の球聖として歴史にその名を刻む。