【ゴルフと競馬】<前編>1567年設立の「マッセルバラ」が競馬場の“中”にある理由
週刊ゴルフダイジェスト
広大な面積を持つ楕円形の競馬場の内馬場。そこに目を付けたゴルファーは洋の東西を問わず存在した。古くは17世紀のスコットランド・マッセルバラに始まり、日本でも開港により外国人居留地から西洋文化が持ち込まれ、競馬とゴルフは共に発展することになった。
TEXT/Takeo Yoshikawa PHOTO/GD写真部、Getty Images
参考文献/「美しい日本のゴルフコース」(田野辺薫、吉川丈雄共著、ゴルフダイジェスト社刊)

- 広大な面積を持つ楕円形の競馬場の内馬場。そこに目を付けたゴルファーは洋の東西を問わず存在した。古くは17世紀のスコットランド・マッセルバラに始まり、日本でも開港により外国人居留地から西洋文化が持ち込まれ、競馬とゴルフは共に発展することになった。 TEXT/Takeo Yoshikawa PHOTO/GD写真部、Getty Images参考文献/「美しい日本のゴルフコース」(田野辺薫、吉川丈……
全英オープンが6回
開催されたリンクス
マッセルバラリンクス ジ・オールドコース
1567年/スコットランド

世界最古のゴルフ場とされてきたマッセルバラはスコットランドのエジンバラ郊外にあり設立は1567年と古く、スコットランド女王メアリーがボスウェル伯とプレーしたと言い伝えられてきた。記録として最古のものはジョン・フォーリス卿が会計帳簿にボール3個、0.125ポンド、そして友人とマッチプレーをした日付を1672年3月2日と記したものが残されており、それによって世界最古のゴルフ場として認定された。だが後年、1552年の「ハミルトン司教の憲章」内の一文によって、現在はセントアンドリュース オールドコースが世界最古のゴルフ場としてギネスに認定されている。
誇らしげな看板とレーストラック

マッセルバラのコースは9ホールの規模で全長2954ヤード、パー34というものだ。最初は7ホールだったが1832年に8ホールになり、それまでの8番が1番ホールになり、1870年に74年全英オープン開催準備の際9番が8番にされたという改造の歴史があり、各ホールにはスコットランドらしく名前が付けられている。近代的なコース設計は、全英オープンを1901、05、06、08、10年と5回制したジェームズ・ブレイドによるものだ。

本格的なリンクスと違い高低差はあまりなく平坦。コースを近代化したのは全英オープンを5回制したジェームズ・ブレイド
コースは海岸沿いの競馬場トラックの内側にある。だが、競馬場が完成し、そのトラックの内馬場にゴルフ場を造ったのではなく、ゴルフ場をトラックで囲むようにして競馬場にしたという経緯がある。競馬場の完成は1816年。ちなみにメアリー女王は前夫のダーリー卿殺害の嫌疑をかけられ、マッセルバラでプレーした年の7月にロッホレーベン城に監禁され女王の称号を剥奪され、その後処刑されている。
マッセルバラ競馬場の2025年10月以降のレースは10/1、13、11/5、28、12/8、22に開催される予定。入場料26ポンド(約5200円)

4番と5番ホールは競馬場のトラック外にあり、4番ホールが“ミセス・フォアマン”と名付けられている。これはグリーンに隣接してミセス・フォアマンの家が建ち、ゴルファーに窓から酒を提供したことから世界最初の“19番ホール”とされている。

世界最初の“19番ホール”
4番グリーンに接しているがコース外にあるミセス・フォアマンの家。約200年間にわたりゴルファーに酒を提供していた。1930年にはボビー・ジョーンズも一杯飲んだと伝えられている。現在は閉店
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- 広大な面積を持つ楕円形の競馬場の内馬場。そこに目を付けたゴルファーは洋の東西を問わず存在した。古くは17世紀のスコットランド・マッセルバラに始まり、日本でも開港により外国人居留地から西洋文化が持ち込まれ、競馬とゴルフは共に発展することになった。 TEXT/Takeo Yoshikawa PHOTO/GD写真部、Getty Images参考文献/「美しい日本のゴルフコース」(田野辺薫、吉川丈……
週刊ゴルフダイジェスト2025年9月30日号より


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