Myゴルフダイジェスト

  • ホーム
  • コラム
  • 【名手の名言】林由郎「球筋を運転できる人は、上達も早いし、絶対長持ちする」

【名手の名言】林由郎「球筋を運転できる人は、上達も早いし、絶対長持ちする」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は、日本プロゴルフの黎明期に活躍し、青木功やジャンボ尾崎などの名選手を育てた林由郎の言葉をご紹介!


球筋を運転できる人は
上達も早いし、絶対長持ちする

林 由郎


日本プロゴルフの黎明期にその名を轟かせ、青木功やジャンボ尾崎ら名選手を育てた林由郎。その言葉には、プレーヤーとしての確かな実績と、指導者としての深い洞察が込められている。中でも表題の言葉には、彼のゴルフ観が凝縮されている。林由郎は、自らこの言葉を実践した人物でもある。スライス、フック、高い球、低い球と、多彩な球筋を自在に操り、戦後のプロゴルフ界を牽引した。

林が、球筋の多彩さを必要だと悟ったシーンには、有名なエピソードがある。昭和23年の関東プロ勝利の後、関西での模範試合に招かれた。関西は宮本留吉と戸田藤一郎、関東からは中村寅吉と林。宝塚の15番ホール。

林はナイスドライブの後、2オンも可能な位置の第2打目をなんと空振りしてしまうのだ。ボールが沈み、左足下がりのライだった。戸田はそれを見て毒舌で「関東のチャンピオンはこんなに下手なのか。林くん、ワシが打ってみせるからよう見ときなはれ」と、3発続けて見事な球を打ってみせた。

この時だ、林が球筋の重要性を知ったのは。林はそれまで右わきを締め、左わきを空けてアウトサイドに抜いて打つフック球1本槍だった。これでは左足下がりや、沈んだボールには対処しにくい。戸田はクラブをインサイドに抜いて、スライス系のボールで難なくクリアしてしまう。

それから林は戸田の動きを観察しスライスを覚えた。米国に渡ればベン・ホーガン、サム・スニードの技術を採り入れゴルフの幅を広げた。秘訣は「見て盗め」だった。

林には、青木、ジャンボ尾崎、福嶋晃子ら、賞金王・賞金女王になった弟子が5人もいるが、彼らにも言っていたのは「盗んで覚えろ」だった。

5番アイアン1本で、50ヤードから220ヤードの球筋をコントロールし、七色の球筋を操った職人・林。彼の言う「球筋を運転できる」とは、単にコントロールが利くという意味ではない。自分のショットを意図的に設計し、状況に応じて打ち分けられる判断力と応用力を持つということだ。それは結果的に、プレーの安定性やゴルファーとしての寿命にもつながる。林はプレーヤーとしても名伯楽としても長いゴルフ人生を過ごした。

■林由郎(1922~2012)

はやし・よしろう。ゴルフは10歳の頃、自宅近くの我孫子GCでキャディのアルバイトをしたのがきっかけ。プロ入りは昭和13年、16歳の時。だが戦前はプロ活動はほとんどなく、兵役にとられた。戦後になって、才能は一気に開花。戦後再開の公式戦、関東プロ、日本プロ、日本オープンの3戦をとり、一躍、中村寅吉とともにプロゴルフ界興隆の担い手となった。その後も順調に実績を重ね、日本オープン2勝。日本プロ4勝。関東オープン、関東プロ各2勝。ワールドカップへも参加。青木功、尾崎将司、尾崎直道、飯合肇、福嶋晃子など賞金王・女王を育てた名伯楽として知られる。七色の球筋を操り、我孫子弁での朴訥なレッスンも評判を呼び、一世を風靡した。

こちらもチェック!

  • レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は、日本プロゴルフの黎明期に活躍し、その後青木功などの名選手を育てた林由郎の言葉を2つご紹介! 他人のものを盗んだら泥棒だが他人の技術を盗んでも泥棒にはならない 林由郎 林は10歳で……