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【名手の名言】宮本留吉「飛距離はもって生まれたもの。逆らっては自分のスタイルは確立しない」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は日本のゴルフ草創期に活躍した宮本留吉の言葉を2つご紹介!


飛距離はもって生まれたもの
逆らっては
自分のスタイルは確立しない

宮本 留吉


宮本留吉は日本のプロゴルファーの草分けだが、身長160センチ、体重60キロに満たない小兵だった。日本最古のゴルフ場・神戸ゴルフ倶楽部でキャディをやりながら、見よう見まねでゴルフを覚えた。

第1回の日本プロゴルフ選手権(1926年)で勝ったころは、小兵ながらよく飛んだという。

1931年には、USPGA(米プロゴルフ協会)の招待で、安田幸吉、浅見緑蔵とともにアメリカに遠征。

11月のサンフランシスコを皮切りに、正月をはさんで3つのオープン競技に出場。米国の大男たちの飛距離に驚きながらも、日本勢は予想以上の善戦で「アメリカの脅威」と評した新聞もあったという。

4試合を終えて、安田と浅見は帰国するが、その後も宮本は5試合に出場している。行く先々で、宮本は当時の強豪達を相手に一歩もひけをとらず、ギャラリーを沸かせたそうだ。

その遠征中、パインハーストで行われたエキシビジョンの対戦相手に、球聖ボビー・ジョーンズがいた。2対2のマッチゲーム。それを見事に制したのだ。

このとき、勝った宮本は賭けた5ドルを手にして、その紙幣の表にジョーンズのサインを求めた。この記念の紙幣は廣野GCの日本ゴルフミュージアムに展示されている。

ともかく、宮本の飛距離でも世界に通用したのである。

「飛距離にこだわりすぎると、スコアは逃げていく。自分の『分』を見極め、7割の力で得た距離でゲームを組み立てる。これがスコアメイキングの要諦である」

■宮本留吉(1902~85年)

みやもと・とめきち。小学校卒業後、神戸GCでキャディに。見よう見まねでゴルフを覚え、日本で3番目のプロゴルファーに。草創期の試合に勝って、長い船旅ののち、ハワイ、アメリカを転戦。全米オープンや全英オープンにも挑戦した。やがて茨木GCのキャディマスター兼プロとして職を得る。そこで、アメリカから新理論を持ち帰った赤星六郎に薫陶を受け、ベースボールとオーバーラッピングを混ぜた、独特のグリップを編み出した。その後、日本オープン6勝、日本プロ4勝、関西プロ、関東プロ各4勝と草創期の雄となった。クラブ製作にも造詣が深く、また練習場でのインストラクター育成にも多大な功績を残した。

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