【名手の名言】大谷光明「これならゴルフの理想にかなうだろうというものが生まれた」
レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は日本ゴルフ協会創設に尽力し日本のゴルフ黎明期を支えた大谷光明の言葉をご紹介!
あらゆる麒麟の画像を練って想を練った。
そしてこれならゴルフの理想に
かなうだろうというものが生まれた
大谷 光明
大谷光明をご存知だろうか。京都出身の僧侶で元祖「お坊さんゴルファー」だ。英国留学中にゴルフに没頭。川奈ホテルGC大島Cや名古屋GC和合C、大箱根CCなどのコース設計家としても有名だが、日本のゴルフ黎明期に日本ゴルフ協会の創設、日本アマ、日本オープンなどの競技開催を実現しゴルフの発展に尽力した人物でもある。
そんな大谷は生涯をアマチュアゴルファーとして過ごしたことから、アマチュアの活躍にも力を入れていた。
日本オープンの第1回(1927年)こそアマチュアの赤星六郎が優勝したものの、その赤星に育てられたプロたち――安田幸吉、浅見緑蔵、宮本留吉ら――が、以後の勝利者の列に並んだ。
そのことに業を煮やした大谷はアマチュアに発奮をうながすために「アマチュアが3位以内に入ったら賞牌(盾)を与える」と宣言。
その賞牌とは「麒麟がゴルフボールを口にくわえた図案」で、当時の大家、斉藤素厳に依頼して制作したものだ。その出来栄えを自画自賛したのが表題の言葉。
「光明を前途に見る若者は、天空を飛翔する如くひたすら向上の唯一路を目指しうる」
と、大谷は巻頭言に記した。しかし残念ながら、大谷の生存中、その賞牌を与えることはできなかった。
日本オープンでアマチュアが3位入賞を果たしたのは、赤星六郎の優勝から66年が経った1993年のこと(片山晋呉)。そして昨年、蝉川泰果が95年ぶりとなるアマチュア優勝を成し遂げた。泉下の大谷は何を思うだろうか。
■大谷光明(1885~1961年)
おおたに・こうみょう。浄土真宗・西本願寺21世門主、明如上人の三男に生まれた。1906年から3年間の英国留学で覚えたゴルフが大谷のその後の生き方を決めた。1922年には日本アマに勝つほどの腕前だったが、それ以上の功績があったのは、ルールの正しい解釈と普及に努めたことである。1924年、日本ゴルフ協会の設立にも尽力し、理事長や会長などの要職を歴任した。ルールの普及に努めた生き方は、親鸞上人を先祖に持ち、自らも得度した“お坊さんゴルファー”の面目役如であった。