【名物ホールでいつかバーディ】Vol.22 池越え後の3打目、ピンと重なる一本松が行く手を阻む「下関GC」12番パー5
かつてチョイス誌の編集長も務めたゴルフコースのスペシャリストが日本全国の名物ホールをレポート。今回紹介するのは、山口県にある下関GCの12番ホール。
【名物ホールFile 22】
下関GC 12番ホール
512Y PAR5
上田治が海外にインスパイアされて
造り上げた日本屈指のリンクスコース
7~9世紀、日本から唐に派遣された遣唐使は、コースのある八ヶ浜を経由して大陸に向かったとされる。1281年(弘安4年)には元が14万の兵を送り込み弘安の役となった。1番ホール左にはそのときの防塁跡が残されている。その歴史深い八ヶ浜に展開するのが下関GCだ。
設計者・上田治は日本海に接し、程よい起伏を持つ八ヶ浜はコースを造る地として理想的と考えた。その理由は、1936年のベルリンオリンピックで審判員を務めた後、スコットランドや、当時最先端リンクスと称された米国のペブルビーチGLやサイプレスポイントCを訪れ、海岸砂丘はゴルフ場建設に適していると確信したからだ。
12番ホールはレギュラーで497ヤード、やや左ドッグレッグのパー5。1991、2002年に日本オープンが行われた時にはパー4とされ、難ホールとして選手に立ちはだかった。
池越えの1打目は左ラフに連なるバンカー群を避けて右狙いになるが、風向きによって難易度はかなり変化する。2打目地点からグリーン方向を見ると、右フェアウェイに松がせり出ていて、それを嫌って左に逃げ過ぎるとサブグリーンとの間にあるバンカーが気になり、そのエリアからの3打目はグリーン左側にある一本松が行く手を阻む。
実際にプレーをしたとき、3打目はグリーン手前の一本松とその日のピン位置とが重なり、上田治の術中にまんまとはまった記憶がある。
コース内に元寇にまつわる歴史の地がある
建治元年(1275年)元の国使45名が上陸。5名は鎌倉に向かったが40名は八ヶ浜で処刑された。怒ったフビライは1281年に14万の兵を送り込んで弘安の役になった。コース内に元使四十塚がある
下関ゴルフ倶楽部
山口県下関市豊浦町黒井850
18H・7002Y・P72
コース設計/上田治
文/吉川丈雄
特別編集委員。1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースのスペシャリスト。現在、チョイス誌ベスト100選考委員、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動
月刊ゴルフダイジェスト2023年2月号より