【名手の名言】ジーン・サラゼン「失敗するまでは 失敗していない」
レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は、世界で初めてグランドスラムを達成した名手ジーン・サラゼンの言葉を2つご紹介!
失敗するまでは 失敗していない
ジーン・サラゼン
ゴルファーはつい、打つ前から「失敗したらどうしよう?」と考えてしまう。そしてそんなときはたいてい失敗する。
名手ジーン・サラゼンは「攻撃は最大の防御なり」というゴルフスタイルだった。
そんなサラゼンの最も有名な一打が、1935年に行われた第2回マスターズ(当時はオーガスタナショナル招待)最終日、15番パー5のセカンドショット。トップのクレイグ・ウッドと3打差で迎えた15番ホール、残り235ヤードから4番ウッドを振り抜くと、ボールは直接カップイン。奇跡のアルバトロスで一気に首位に並んだのだった。そしてプレーオフを制し、大逆転優勝。この勝利により、史上初の「グランドスラム」達成者となった。
このアルバトロスが取りざたされるたびに「ただのラッキーだった」と振り返るサラゼンだが、失敗を恐れずピンを攻めるスタイルが生んだ一打と言えるだろう。
実際、サラゼンの記録のひとつに「1年間で27個のイーグル」がある。ここ30年では2003年のカルロス・フランコの22個が最多ということを考えると、いかに凄い記録かが分かる。しかも、その多くはパー4で2打目が直接カップインしたものだったというから驚きだ。
攻めた結果、失敗することも多々あるだろうが、攻めずに失敗するよりははるかにいい。ゴルフに限らず見習いたい姿勢である。
ゴルフは“練習”から始まる
ジーン・サラゼン
一見何の変哲もない言葉だが、その言葉が紡がれたシチュエーションを聞くとなるほどと頷かされる。
これは、晩年のサラゼンに可愛がられたというゴルフ場造成関係者に、実際に聞いた話である。米国フロリダで、サラゼンの設計したマルコー・アイランドというコースに2人で立ち寄ったときのこと。
ハウスを出てコースを一望したら、右にアウトコース、左のインコースと分かれていて、その中央に広々とした練習場が鎮座ましましていたというのだ。
ドライビングレンジは400ヤードを越え、アプローチ、バンカー、パッティンググリーンも完備。もちろんショットは芝から打てる練習場であったという。あまりの練習場の美しさにその関係者が驚くと、サラゼンは「ゴルフは練習から始めるし、ラウンドも練習から始まる。これがゴルフというものだよ」と静かに語ったというのだ。
初めてゴルフをする者は、必ず練習をする。そしてラウンドの日の朝も、必ず練習から始まる。練習こそが、ゴルフにおいて何より重要であると諭したわけだ。
イタリア移民の貧しい家庭で育ち、キャディから身を起こしたサラゼンは、仕事の合間を縫って練習に勤しんだ。その貴重さが身にしみてもいたであろう。自分が設計したコースには、その初心を忘れないようにとの思いも込められていたに違いない。
■ジーン・サラゼン(1902~1999年)
ニューヨーク州ハリソン市にイタリア系移民の長男として生まれる。貧しい家計を助けるため10歳でキャディになる。17歳で学校は中退。大工の見習いになるが、大病。その後パブリックゴルフ場につとめプロゴルファーへの道が開けた。20歳のとき、「マッチの鬼」といわれたウォルター・ヘーゲンを破り全米プロに勝ち、メジャー初勝利をもぎとる。28年には全英オープン、30年全米オープン、33年にはあの有名な15番のダブルイーグルでマスターズを制覇し、世界で最初のグランドスラマーに。日本ではかつて行われていたトーナメント「ジュンクラシック」のホストとしても親しまれた。
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