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【名手の名言】バーナード・ダーウィン「ゴルフ規則は自由の拘束ではない。プレーのための福音書と考えるべきだ」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は、進化論学者チャールズ・ダーウィンの孫で自身も卓越したアマチュアゴルファーだった英国のエッセイスト、バーナード・ダーウィンの言葉を2つご紹介!


ゴルフ規則は自由の拘束ではない
プレーのための福音書と考えるべきだ

バーナード・ダーウィン


バーナード・ダーウィンは、あの「種の起源」を著して進化理論を確立したチャールズ・ダーウィンの初孫である。

そのバーナードは“最も偉大なゴルフエッセイスト”として、洒落っ気から本質的警句まで多くの言葉を遺している。

今回は後者、ゴルフの本質を衝いている言葉を紹介しよう。

あなたは例えば、OBをしたり池ポチャをしたりすると、悔しがったり怒ったりはしないだろうか? その際の1打のペナルティにこの世の終わりのごとく絶望してはいないだろうか?

これは全くの勘違いであることを、バーナードは教えている。

ゴルフの大原則“Play the ball as it lies”(ボールはあるがまま)からすれば、たとえどんな藪の中だろうと、崖の下だろうと、池の中だろうと、本来ならばボールを探し出してあるがままに打たなければならないのである。

それが、たった1打のペナルティを払うだけで許してもらうことができ、別のボールでプレーを再開できるのだ。これを“福音”と呼ばずになんと呼ぼう。

OB、ペナルティーエリア、アンプレヤブル……ゴルファーからすれば忌まわしいことこの上ないフレーズだが、よくよく規則書を見れば、これらはすべて「罰ありの“救済”」と称されている。絶望的な状況から救ってもらうわけだから、感謝しこそすれ、クラブを叩きつけるなどもってのほか。

池ポチャしても、むしろ「ありがとう」と感謝するぐらいの気持ちで次打に向かうことができれば、おのずとナイスリカバリーやバウンスバックにつながるはずだ。


昔のゴルファーは
少ないクラブで違ったスウィングをしたが
現代は多くのクラブを使って
同じスウィングをする

バーナード・ダーウィン


この言葉は、バーナードが1944年に著した『Golf Between Two Wars』にあって、現在も少しも古びていない。

過去のメジャー優勝者を調べてみると、ジョン・ボールは7本のクラブで全英オープン1回、全英アマ8回勝利。ジェームズ・ブレードも7本のクラブで全英オープン5回優勝。チック・エバンズも7本のクラブで全米オープン1回、全米アマを2回獲っている。ハリー・バードンにいたっては8本のクラブで全英オープン6回勝利の記録を打ち立てている。

逆に、クラブの本数制限がなかった時代にクラブを多く持ってプレーした記録としては、ハリー・クーパーの27本、ウォルター・ヘーゲンの25本、トミー・アーマーの24本などが残っていて、一般アマも20本ぐらいは持ってプレーしていたという。

これは米国でスチールシャフトの発明で量産が可能になり、“クラブまかせ”にすれば機械のようなスウィングになるというクラブ・メーカーの商戦に乗せられたからであろう。

すべての番手で機械のようにまったく同じスウィングができれば理想的ではあるが、コースは決して平らなライばかりではなく、深いラフや目玉のバンカー、木の根っこ、スタイミーなど、一筋縄に行かない場面もたくさんある。そんなときはやはり、状況に応じた技術やイメージ力・感性が重要になる。

今のツアープレーヤーは皆似たようなスウィングで個性がないと言われるが、トップの選手は総じて、ひとつのクラブで遊ぶようにいろんな打ち方を試しながらゴルフを覚えてきたプレーヤーが多い。全英オープンなどを見ていても、普段機械のようなスウィングをしている選手が、絶体絶命のピンチに陥ったときに、我々が想像もしないような打ち方で難なくリカバリーしてしまう場面に遭遇することがあるが、これも遊びの中で培った技の引き出しがあるからこそだろう。

「最近の若いモン」はいつの時代も悪く言われるものだが、一流たちは真理をつかみ、時代に合わせ昇華させているものだ。

■バーナード・ダーウィン(1876~1961年)

「種の起源」で有名な進化論学者チャールズ・ダーウィンの孫。英国では6人の最高のエッセイストの1人とされる。ケンブリッジ大学法律学部卒業後、弁護士に。卓越したアマチュアゴルファーでもあり、全英アマ準決勝に進むこと2回。1923年に始まったウォーカーカップでは英国チームの主将も務めている。エッセイストとしてのスタートは1907年「イブニングスタンダード」に週1回のコラムを依頼されてから。以後「カントリー・ライフ」「タイムズ」「サンデー・タイムズ」と次々に執筆。生涯に著したコラム、エッセイが3000本、著書37冊、序文66冊。ゴルフ進化論に果たした役割は祖父に比して遜色ないと評される。