「タコスはこうやって食べるのさ」(1982リバティ・ミューチュアル)【記者が見た“勝負のアヤ”】
記者生活50年を超えるベテラン記者・ジョーが、長い取材生活のなかで目の当たりにした数々の名勝負の中から、いまだ色あせることなく心に刻まれているエピソードをご紹介!
1982年 リバティ・ミューチュアル
「タコスはこうやって食べるのさ」(ベン・クレンショー)
宮崎のフェニックスCCで第1回ダンロップフェニックスが行われたのは1974年で、ジャック・ニクラス、トム・ワイスコフら、多くの外国人選手が参戦した。当時の米ツアーでは若手の台頭が著しく、そのなかのひとり22歳のベン・クレンショーも来日していた。来日した若手選手に「日本のゴルファーに向けて色紙にひと言書いてもらえ」との企画を現場でいきなりむちゃ振りされ、「えっ」と思っているときに目が合ったのが彼だった。
いやな顔もせず「Swing Smooth」、そして年末だったことから「メリークリスマス」、加えてサインを書いてニコッと笑って色紙を返してくれた。それ以来、海外取材や日本で会うたびに挨拶を交わすようになった。
試合で来日したときに撮った記念写真
初来日の74年に読者向けにひと言といって書いてもらった色紙。きれいな字だ
時は経ち、82年、テキサス州オースチンにあるオニオンクリークGCで米シニアのリバティ・ミューチュアル・レジェンド・オブ・ゴルフがあり、日本から陳清波が招待されていた。そしてTVレポーターはベン・クレンショーだった。ランチはロッカールームに用意されたビュッフェだったのだが、さすがテキサス、すべてタコス。具はどれを選ぼうかと迷っているとクレンショーが隣に来てトルティーヤを手にし「具はこう入れて、最後にクルッと巻くようにして、ハイ出来上がり」と手渡してくれた。2年後のマスターズチャンプが手ずから巻いたタコス! 貴重なチャンピオンズランチの味はいまだ忘れられない。
文・構成/ジョー(特別編集委員)
年齢不詳でいまだに現役記者。ゴルフダイジェスト入社後、シンガポール、マレーシアをはじめ、フランス、モロッコ、英国、スイス、スウェーデン、イタリア、アメリカ、カナダ、メキシコ、中国、台湾、アラブ首長国連邦、オーストラリア、ニューカレドニア、タイ、インドネシアなどでコース、トーナメントを取材。日本ゴルフコース設計者協会
週刊ゴルフダイジェスト2022年5月3日号より