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【インタビュー】工藤遥加<前編>267試合目で初優勝。「少しは恩返しできたかな」

昨年3月、アクサレディスでツアー初優勝を遂げた工藤遥加。難関のプロテストに一発合格し、プロゴルファーとなってから4991日。「15年でやっと初勝利……何だか私らしいでしょう?」と話した工藤。はて、“私らしい”ってどういうこと? 練習拠点にしている茨城を訪ねた。

PHOTO/Yasuo Masuda、Hiroyuki Okazawa

工藤遥加 くどう・はるか。1992年11月18日生まれ。埼玉県所沢市出身。高校からゴルフを本格的に始め、2011年7月、プロテスト合格。同年12月の新人戦「加賀電子カップ」で優勝、ステップ・アップ・ツアーでは2023年5月の「ツインフィールズレディース」で優勝。2025年3月の「アクサレディス」でレギュラーツアー初勝利

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2025年シーズン終了後、工藤は多忙だった。あちらこちらのイベントやコンペに呼ばれ、トークやプレーで盛り上げ、スポンサーへの挨拶回りもしっかりと。取材は師走の慌ただしい時期で、前日は関西でのコンペに呼ばれアマチュアの方々とプレーしていたという。取材は午後からがいいだろうと、昼頃に練習場を訪ねると……。「工藤プロなら朝から練習をしていて、今はお昼ご飯に出ていますよ」と練習場スタッフ。コンペの後パーティにも出席し、遅くに関東に戻っても、朝9時には茨城の練習場で球を打っている。「ゴルファーって朝が早いから、それが普通になっているんですよ」と工藤。「みんなそういう体になっているからね」と言葉を添えたのは中島弘二プロ(80)。約3年前から本格的に工藤を見ているという。

工藤がプロ入りしたのは2011年。一発合格だったうえ、元プロ野球選手・工藤公康氏の娘としても話題に。さぞや恵まれた環境でゴルフに取り組んできたのだろうと思いきや「もともとプロゴルファーではなくトレーナー志望だったこともあり、ゴルフに親がずっと付き添ってくれるとか、そんな感じではなかったんです。プロテストに受かった時も車の免許すら持っていなくて。直後の新人戦で勝って賞金が108万円出て、それでなんとか教習所に行けたんです。『これで免許が取れる』と、ホッとしました(笑)!」。その後、メルセデスのサポートがあり、試合会場への移動手段が賄えたという。

プロ入りが決まって、大手マネジメント会社に入ると、「周りの“大人”が一気に動きだした感じがしました」。しかし、自分はまだまだ子どもだったと工藤は振り返る。「いろんな人に会って、とりあえず挨拶はして、頭を下げるんだけど、名前はあんまり覚えていない、みたいな。今思えば生意気だったかなあと思います」

2010年の「ゴルフダイジェスト・ジャパン・ジュニアカップ」で。「ボールを投げて」とのむちゃ振りに応えてくれた。さすがのフォーム

プロテスト一発合格、新人戦優勝と前途洋々。周囲の大人が“うごめく”のも当然といえば当然だが……。「プロになってからは思うようなプレーができなくなっていきました。ケガもありましたし、7年ぐらい前かな、メニエール病にもなって。頭がグルグルするような症状に見舞われ、その後アプローチイップスになって……」。プロ入り直後の“無我夢中期”を過ぎて、約3年間は肉体的にも精神的にもつらい毎日で、試合にも出たいと思えない状態だったという。「そんな状態だったので、ついてくださっていたスポンサーさんたちをお断りしたんです」

心機一転のスタートとなった折に声を掛けてくれたのが「同期のこっちゃん(香妻琴乃)です。中島コーチを紹介してくれて、(中島コーチと)ちょこちょこラウンドをご一緒するようになりました。そのときはアドバイスを受けたりというのはなかったんですが、3年前ぐらいかな、久しぶりにラウンドする機会があり、本格的に見てもらうようになりました。先生は『僕もそういうときがあったよ』と、ご自分の体験を踏まえながらのアドバイスが多いんです。すると、こちらもスッと受け入れられる。同時期にソフトボールのビックカメラ高崎の皆さんと一緒にトレーニングする機会も得て、そのときあたりで“プロゴルファー工藤遥加、再始動”みたいな感じになりました」

変わったのはプレーだけではなかった。「応援してもらえるありがたさが身に染みるようになりました。感謝の気持ちを表したくてプロアマでご一緒した方にお礼のお手紙を出すようになったのもこの頃かな。そうこうしているうちにスポンサーさんも増えてきて……」。そんななかでのプロ初優勝。「いいタイミングで優勝できて、少しは恩返しできたかな」。冒頭の「私らしい」優勝とは、そういう意味なのかも。

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週刊ゴルフダイジェスト2026年2月17日号より