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【再録・ジャンボ尾崎×山際淳司】<後編>「人間って一度楽をすると、それを直して努力するってなかなかできないんだよね」

プロデビュー2年目に日本プロを含む5勝を挙げ、瞬く間にツアーのトップに躍り出たジャンボ尾崎。順調に勝ち星を積み重ねていたが、1980年代に入り低迷期を迎える。ジャンボはいつ復活するのか、そんなことがささやかれるようになった1983年夏のインタビュー。聞き手は「江夏の21球」で有名なノンフィクション作家・山際淳司氏。“復活前夜”のジャンボの言葉を今一度、ご覧あれ――。

PHOTO/Hiroaki Arihara、Yasuo Masuda

聞き手/山際淳司(1948‐1995) 1980年「Sports GraphicNumber」創刊号に「江夏の21球」を執筆。この作品が大きな反響を呼び、スポーツノンフィクション作家としての地位を確立。「江夏の21球」を収録した作品集「スローカーブを、もう一球」で、1981年に第8回角川書店日本ノンフィクション賞を受賞。日本のスポーツジャーナリズムの草分け的存在。神奈川県横須賀市出身

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  • プロデビュー2年目に日本プロを含む5勝を挙げ、瞬く間にツアーのトップに躍り出たジャンボ尾崎。順調に勝ち星を積み重ねていたが、1980年代に入り低迷期を迎える。ジャンボはいつ復活するのか、そんなことがささやかれるようになった1983年夏のインタビュー。聞き手は「江夏の21球」で有名なノンフィクション作家・山際淳司氏。“復活前夜”のジャンボの言葉を今一度、ご覧あれ――。 ……

でも焦りってありませんか? 例えば去年は中嶋常幸が断トツでお金を稼いだ、青木功がハワイアンオープンで優勝した……日本の国内で大きく騒がれているでしょう、そういうのを見聞きして、当然、ジェラシーとか焦りとかあると思うんですけどね。

尾崎 もちろん。その気持ちがなければ勝負なんてやめればいいんでね。ボクらってのは、一種のお互いの内争社会じゃないかな。だから相手がいいからといって拍手なんてしてられないと思う、本当に。青木選手はいい、中嶋選手はいい、なんて絶対思わないですよ、ボクは。あんちきしょう、って思うよ、そりゃ。それ思わなくなったら、もうゴルフやめてますね。そりゃスポーツマンとして素直に祝福する気持ちはありますよ、栄光に対して。

──目先で「何かやってやろう」って気になるでしょう。

尾崎 だから難しいの。

──こういうケースを突き抜けて、フッとトンネルから抜け出すと、これは非常に面白いでしょうね。誰もやったことなかったですからね。

尾崎 そう。それをやっている。

──もう一度ゴルフの深さ、面白さみたいなものを、別の観点から発見する。

尾崎 そう。苦しんでいるじゃなくてね。

──先日、高校野球の審判をやっている郷司さんという人に会ったんです。20年ほどやっている人なんだが、今でもよく覚えているピッチャーを何人か挙げてくれといったら、一番最初に尾崎さんの名前が出てきた。甲子園での尾崎さんのピッチングが非常に印象的だったと。球速とか、そういうことならばその後、池永(正明)とかいたけれど、なぜか鮮烈に覚えていると。郷司さんにとって最初の優勝投手ということもあったんですが、まあ、野球やっていて、それなりのレベルにすうっと行ったわけですよね。そしてゴルフに転向して、あっという間にひとつのレベルに到達してしまった。非常に器用でしょう、尾崎さんって。


尾崎 そうだね。自慢じゃないけど球を持たせ、その球をどうするかってことには非常に自信があるね、自分では。ちっちゃい頃からそうだったね。球技には自信があったね。特に、例えばそのボールを持って遠くに飛ばすとか、目標の地点に投げるとか、わりと自信あったね。だからゴルフを最初に覚えた時には、あれ、これが自分に一番合っているんじゃないか。死んでいる球を自分が生かせばいいって感じたんだ。それに遠くに飛ばすこともできる。ボク、割りと遠投とか好きだったからね。おまけに自分でコントロールすることもできる。これも好きなんだ。

──すると、投手としてはコントロール型だった?

尾崎 豪速球投手ではなかったね。打たせて取るタイプだね。力投型じゃなくて早いカウントから打たせて、楽しようってタイプの一人だね。だから甲子園でも3試合連続完封、3試合連続無四球ってのもやった。これは結局力投型じゃない。コントロールを中心にピッチングを組み立てていくタイプだったわけね。

──自分でコントロールよく投げようと思っても、意識と体がピタッとくる人は少ないですよ。それができるというのは天才的に器用なんですよ。そういうのって、ある面生まれながらという気がする。

尾崎 例えば、飛距離なんか先天的なものがあると思うんだよね。最初ゴルフ始めて全然飛ばないのが急に飛ぶようになるってのは、ほとんどないと思うよ。その人の持って生まれたスポーツに対するセンスというか、体の動かし方ってあると思うよ。

投手として甲子園で優勝

「甲子園で3試合連続完封&無四球。力投型ではなくコンロールで組み立てていくタイプだった」

──ゴルフやり始めて、とりあえずマスターしたでしょう。当時の日本のゴルファーのレベルを一気に飛び超えたでしょう。ああいうふうにスーッといっちゃうと、どういう気分だったんですか?

尾崎 まず、順番に言うと、ボクにとってゴルフと野球では、何が違っていたかと考えると、ゴルフはね、自分でやりたいって前向きな気持ちがあった。野球のほうは、何か練習シンドイとか、時代的にもあまりよくなかったから、どうしても100パーセント集中できなかったね。まあ中学からずっと割りと野球の強い学校にいたから、伝統とかあるわね。そこで6年間抑えられる。それがイヤだったのね。それで野球に対する興味が少しずつ削られていったのは確かだね、今考えるとだけど。それで、まあ惰性的にと言っちゃなんだけどプロ野球に入った。同期に池永が入ってくる、で彼はバーンと伸びてくる。ボクは比較の対象とされたけど、よくなかった。そんな時期があって、野球に対する熱意がどっかでゆがんでいったんだな。そういう時にゴルフやったでしょ。これ以外に我が道を生かす道なしだね。ま、そういう衝撃の出合いみたいなのがあって、全身全霊でゴルフに打ち込んでいったという感じだね。だから自分でつらいとか思ったことないし、かえってさわやかだったね。自分の好きなことだからね。そういう背景があったから、デビューの時からグーンと行けちゃったんだよ。

──そういう精神状態って何年間くらい続きました?

尾崎 デビューして5年間くらいは続いたわな。

──ある意味で非常にいい時期ですよね。気力と体力が充実してて。

尾崎 野球をやめる時、故障でやめたわけじゃない。ゴルフやりたくて自分から「やめさせてくれ」って言ったんだよね。球団としては高い契約金払って3年でやめられて。3年たって、高卒でしょう、だから21。21で五体満足でしょう。これから期待をかけようっていう時に、ボクのわがままでやめたわけですよ。

──よく出してくれましたね。

尾崎 いろいろトラブルはあったんだけどね。そりゃ法律的にはボクのほうが正しいんだけど、道義上の問題があったのね。今思えば、あまりいいやめ方だとは思わないけど、それだけゴルフをやりたいって熱意があったんですね。それともうひとつラッキーだったのは、西鉄ライオンズにいたので福岡でしょ。ところが、ある問題が生じて福岡のゴルフ場に所属しようと思ったのが、できなくなっちゃったんですよ。それで人を通じて習志野CCへ。関東ですよね。もし九州のどこかに所属していたら、今までの自分の歴史がつくれていたかどうか? まあ、ある程度はできただろうけれども、広い関東で、一番情熱がある時期に入ってきて、これはラッキーだったことは間違いないね。

「野球は惰性的にやっていたけど、ゴルフは自分でやりたいという前向きな気持ちがあった」

──最初の5年間で気分が落ちちゃう、それはやることやったからって意識なんですかね?

尾崎 はっきり言えば、ゴルフに対するひたむきさが薄れて言ったと言うことはできるね。これはボクはしょうがないと思うんだな、今の日本のゴルフの歴史からすれば。そういう精神的な面を支えていくシステムが少ないと思うんだよね。周囲の人間、例えば協会の人とかね、嘱望される選手、いわば宝だよね、そういう選手を支えていくっていうか、あんまり考えてなかったんじゃないかな。まあ個人競技だから難しいんだけれどもね。例えば「どうして予選落ちするんだ?」と聞かれたら、そこに科学的な答えを提示して「こうするんだ」「ああするんだ」といってやれれば、今までバーッと出てサッと消えていった選手も、もう少し長くやれたと思うんだよね。

──いろんなトーナメントに出て、勝っちゃって、名誉みたいなものとか、賞金もドンドン上がっちゃいますよね。

尾崎 そうです。ボクの場合はボクが出ることでトーナメントの数が非常に増えたと。しかしその一方で、年間たくさんの試合に出なくちゃいけない。そうするとトーナメントに対する緊張感が薄れていく。要するに試合数が多すぎたということね。それで情熱みたいなのもあまり出てこなくなってくる。すると技術的な面で、こうだという形がないものだから一気に崩れていく。そういう点でアメリカってやはり歴史があると思うんですよ。すべてに解答を出すものが周囲にあると思うんだ。技術面でも精神面でも。それでまた自分を見つめ直すことができると思うし。実際に5年経った時に振り返ってみたら、何をするんだってことがなかなかなかったし。またやらなくて済むわけ。だからやらないほうを取ったんだね。これは一種の妥協心かな、「ああ、いいやっ」てね。まあ、日本でオレの天下だって思った時、楽して勝てばいいんだって思ったわね、結局慢心だね、ゴルフに対してね。だから、それを規制する何かが周囲にあったなら、ボクは違っていただろうね。人間って一度楽をすると、それを直して努力するってなかなかできないんだよね、最近そう思うんだ。

──マスターズ8位ってのは?

尾崎 今なんか、青木さんにしろ、中嶋選手にしろ日本での成績が良ければ何試合でも出られるけど、ボクなんか調子が良かった時でもマスターズ1試合しか出られなかったもの。彼たちはいいよね。ベストの時にたくさん出場できるんだから。それは今言ってもしょうがないけど、ただ自分がベストの時にね、もっと数多くやってみたかった。ガーンと行っている頃は、ボクはアメリカの選手を見ても、そんな負ける気はしなかったからね。それにシーズンの違いもあったよね。日本でシーズン終わると4月まで試合なかったし。4月の最初のトーナメントがマスターズだったからね。12、1、2、3月と休んで1発目がマスターズってわけ。東南アジアのサーキット回って調整してね、ま、調整にならなかったけどね。今と全然違う状況だったわけだよ。

──8位になった時、ずっとアメリカでやりたいと思わなかった?

尾崎 やりたいと思ったけど、なかなか周囲が許してくれなかった。それに、それほど日本のプロがアメリカで活躍できる場ってなかったんだよ。だから、アメリカ人が日本に来た時なんか、余計に闘志が出たね。太平洋マスターズでもいつもベスト10落ちなかったしね。

──さっき、ニクラスと話ができたらって言っていたでしょ?

尾崎 ばっちりレッスンが受けられたらいいと。

──ほかに、こういう人間と話してみたいってあります?

尾崎 あくまでニクラスを崇拝していますからね。それ以外と言われると…。

──過去の人はどうです? 昔のゴルファー。

尾崎 やっぱりスウィングでいいといったらサム・スニードでしょう。それにベン・ホーガン、トム・ワトソンと……ニクラスを加えてやっぱり4人の名前が挙がってくる。いずれもビッグプレーヤーだからね。

──日本だと青木功ですか? 今40代だけれど、30代の後半っていうのは、まだはっきりわからず、どっちかというと悩んでいたほうですよね?

尾崎 悩んだってことはないんじゃないかな。彼の場合、以前フッカーだったのがスライスに変えたことで今日があるわけだよね。だから、どうしてスウィングを変えてよくなったか、ということは理論的に実証できるわけです。これはわけない(笑)。簡単に言えば、若い人はフックを打つべきだと思うね。フックからスウィングを覚えていかないとダメだって言えるよね。どうしてかってことになれば、結局、青木選手がこうなったって話になるけれどもね。

──ライバル意識ってあります? 青木功に。

尾崎 そうね、青木選手とは、彼のほうが4つ歳上だけど、ボクが先にバーンと上に来て、その時彼は下にいて、まあボクに対する気持ちかどうかわからないけれど、勝つためにはどうしたらいいか? それを青木選手は見たわけね。それが長続きしている原因だと思うね。だから、目標見つけて、これから先やっていかなきゃいけないってなれば、それはいいね。

──すると、そういう意味での目標にはならないですか?

尾崎 やっぱりタイプが違うからね。例えば、アプローチ、パットは世界の3本の指に入る人でしょう。もう大体、我々の倍の距離までそれらは許されるわけでしょう。ボクらが2メートル入れる確率と、青木さんが4メートルを入れる確率はだいたい同じだからね。これはドライバーにすれば倍も真っすぐ飛ばさないと対等にいけないと言ってもいい。そこで非常に技術的なものが要求されるわけです。人より正確に遠くに飛ばして、人よりピンに近く寄せる。これですよ、ボクがしようとしているのは。そうしないと絶対に太刀打ちできないですもの。

人より20メートル遠くにしかも正確に飛ばす。これはとても技術が要ると思う。飛ぶんだからアイアンで刻めとかいうけど、アイアンで刻んでほかの人の後ろにいって何する? ただOBを避けてフェアウェイをキープだったら、そこからピンに絡ませる技術があるのかどうか? それは今の確率からすれば少ないと思う。ほかの人が6番持つ時、ピッチング持つからピンに寄るし、勝負できる。同じ6番持ってるんだったら、ほかの人のほうが真っすぐ飛ばす人が多いからね、今の時点では。それをわざわざ後ろから打つことないよね。刻んで正確にセカンド打てるんだったら、ボクは日本でドライバー使わないよ。

「青木さんのアプローチとパットは世界で3本の指に入る。だからパーオンすればパットで勝負できる」

──そういうふうに考える前に、ドライバーが振れるんなら短く刻んでって思った時期もあったでしょう?

尾崎 やっぱりね、一番長いクラブで距離を落とすっていうのは、手打ちになっているんだよ。問題はできるだけコントロールすることはどういうことかってことなんだ。それで、ボディスウィングでコントロールできれば一番いいと、手先じゃなくてだよ、そう思うわけだね。だから回転数を落としてもボディスウィングでコントロールできるようなスウィングを求めているわけよ。結局、回転数が同じで、クラブを落とせば距離が落ちるわけでしょう。そうじゃなくて、ドライバーで打って回転数を落として、正確に打ちたいってことなんだ。これができればすべてにおいてバランスが取れてくる。そうであればアイアンで刻んでもいいと思う。ま、ここで話が戻るけど、青木さんの場合は10ヤード、20ヤード落としても、パーオンさせればパットで勝負できるって考え方に切り替えたわけだ。昔はものすごいロングヒッターだったのよね。自分の長所が何であるかを見つけたわけね。じゃあボクの長所はなんであるか? これはロングショットに磨きをかけるほかないんだ。そして磨きをかけるためには理想的なスウィングをしなきゃならない。これは、あまりパーフェクトなことを要求しすぎているかもしれないけれど、ボクのタイプからすればそうなってくる。だからしょうがないのね(笑)。

──タイプが違うわけ?

尾崎 まあ、もしボクよりもっとロングヒッターがいてね、バーンと勝ってきたら、ボクはその人間に勝つために飛距離を落として…。

──そういうのって、あり得ると思うんですよね。

尾崎 だから飛ばすだけの能力を持っている人間は、飛ばせるのよ。飛ばせるが故に難しくなってくるのよ。故に努力は必要であると。これはやっぱり運命の法則であると(笑)。

──まだまだ弟2人を引っ張っていかなくちゃいけない気持ちも?

尾崎 結局、体で見せるってことがひとつの教育だと思うね。やっぱりボクが一生懸命苦労している姿を見れば、彼たちも気づくんじゃないの。

──しかし、偉大な兄がいる。彼らにとって非常なプレッシャーじゃないですか?

尾崎 でもこれは考えたって切れるわけじゃないんだからね。まあ、とにかく人間は楽に金を稼ぎたいって誰でも思っているわけだし、オレも思って失敗したけど(笑)、いま、自分が何をしなくちゃならないか、それを見つけることが大切なことだね。それがボクがやろうとしていることだし、それが将来、若い人の力になってあげられればね。これからはただ球を打って、ゴルフが強ければいいっていうんじゃなくて、科学的なゴルフ、すべてが解決されるような、そういう明解なゴルフをつくりたいね。それが理想だしね。まあ、静かに期待していてください。

尾崎将司選手のご冥福をお祈りします。

※1983年8月31日号に掲載されたインタビュー記事を再編集して掲載しました

週刊ゴルフダイジェスト2026年1月27日号より